光る小さな技術力
1月下旬、20年ぶりに人口2万ほどのパラオ共和国を訪ねた。天皇・皇后両陛下は昨年4月、戦没者慰霊や平和祈念のために太平洋戦争の玉砕地、パラオのペリリュー島を公式訪問された。その時、パラオ人たちは深い尊敬の念をもって両陛下を心から歓迎したと伝えられている。
パラオ人にとって、日本は特殊な国だと言える。1914年(大正3年)の第一次世界大戦で、日本は日英同盟に基づいて参戦し、18年のドイツ降伏後、連合国の一員であった日本は、ベルサイユ条約で南洋諸島の赤道以北(グアムを除く)マリアナ、カロリン、マーシャル3諸島を委任統治することになった。赤道以南はオーストラリア、ニュージーランドに割り当てられた。日本は22年、パラオのコロールに「南洋庁」を開設し、委任統治の要にした。
前置きが長くなった。筆者の旅の目的は国際協力機構(JICA)の実施する「中小企業海外展開支援」の現場を視察して、事業評価することであった。この事業は、政府開発援助(ODA)予算にカウントされる限り、わが国中小企業の開発途上国への事業展開を支援するだけでなく、当該国の経済・社会の発展に寄与しなければならない。その意味で、中小企業庁や日本貿易振興機構(ジェトロ)などの中小企業海外進出支援と趣旨が異なる。
JICAの中小企業海外展開支援は、現地への貢献度を下敷きにして評価しなければならない。この事業は筆者が2000年以来、提唱し続けてきたODAの“官民連携”の一角を成すもので、開発への民間の触媒効果が期待されている。
評価すべき「中小企業海外展開支援」は、ゴミ分別回収・減量化を促進する油化装置の普及・実施事業である。要するに、プラスチック類を元の石油に戻すことで、これは3Rと言われるゴミを減らし(Reduce)、使えるものは繰り返し使う(Reuse)、ゴミになったら資源として再利用する(Recycle)に該当する。
決め手のデポジット制度
コロール市では2011年から約1リットル以下の輸入飲料容器1本に付き10セントのデポジットを課して、空き容器をコロール・リサイクルセンターに持っていくと5セントで買い取るシステムをスタートさせている。これで空き缶や使用済みペットボトルの90%が再利用されるようになったという。たとえば、空き缶はアルミ、鉄などに分別され、それらを専門業者が引き取り、台湾へ輸出して外貨を稼いでいる。
コロール市では有機ゴミ、有価金属、ガラス、ペットボトルなどの最終処分がかなり進んでいるものの、ペットボトル以外のプラスチックゴミの処理は未解決のままであった。だから、プラスチックを石油に戻す油化装置の実証は大いに期待されていた。
今回の実証油化装置は1キログラムのプラスチックから1リットル(約0.8キログラム)の油を抽出する能力を持つもので、油はそのままボイラーなどの燃料や軽油の増量剤として利用する以外に、専門発電機で電気に変換できる。それは実証実験でも明らかにされ、パラオ庁舎の電気代も大いに節約できると語っていた。さらに、プラスチックゴミは年間2,000トンと見込まれ、一般廃棄物の総廃棄排出量(年間)の6,500トンのうちの約3分の1に当たる。プラスチックゴミ処理は新しいゴミ処分場の縮小にも寄与できると言う。
以上、パラオにおける中小企業海外展開支援を見てきたが、パラオでの実証事業が証明されると、油化装置を開発した神奈川県平塚の(株)ブレストはお墨付きとも言うべき実証証明書をもって太平洋諸島のみならず、広くアジア、アフリカにまで市場を開拓することができる。だから、中小企業の海外展開支援は、日本政府の地方創生支援と連動することになる。まさに地方企業による技術の創意工夫が生かされるのである。
高い評価のJICA環境協力
最後にもう一点指摘したい。それを一言で述べるならば、パラオのコロール州リサイクルセンターに対するJICAの環境協力が実に理路整然と実施されていることである。これには驚かされた。高く評価したい。それには一人の優れた専門家が関与している。それでは協力の流れを追ってみよう。
第1段階では2004年から06年までの2年間、シニアボランティアとして藤勝雄氏が派遣されるが、その任期明けにはコロール州政府の州知事、ヨシタカ・アダチ氏に見込まれて雇われる。知事は先祖が山形県人だと言うだけあって、根っからの日本びいきで、その名も日本語名で通している。彼は藤アドバイザーを信頼して重用してきた。言うなれば、現在のコロール州リサイクルセンターを彼に任せている。だから、藤アドバイザーの構想通りにリサイクルセンターが運営されていると言っても過言でない。
第2段階では、08年に草の根無償でコンポスト製造施設の建設を支援。第2段階では、09年に同じく草の根無償でゴミ分別用ステーションの設置やコロール州廃棄物管理事務所を支援。第3段階では草の根無償でゴミ収集車などの中古車両を供与。第4段階では11年のリサイクルセンターの稼動開始に伴う草の根技術協力や広域技術協力と言われる「太平洋地域廃棄物管理改善支援プロジェクト」を実施する。
こうして12年には飲料容器デポジット制度が運用開始され、13年には自ら缶・ペットボトル計数機とともに、ゴミ回収車2台も購入し、リサイクルセンターも拡張した。14年にはビン破砕機やプラスチック油化装置を導入。15年にはビン類の再利用のためのガラス工芸機材を購入。
日本からの援助を上手に活用しながら、自らの努力と工夫でゴミ処理の屋台骨となるリサイクルセンターの運営が軌道に乗っているのも、行政のトップとお雇い外国人とも言うべき日本専門家との呼吸がピッタリ合っているからであろう。理想通りの日本の環境協力を見せてもらった。
JICAは1997年から始まった3年に1回開催の「太平洋・島サミット」での日本の公約を果たすべく、地道に太平洋地域の島環境の改善に協力している。たとえば、微生物による有機物分解を早めてゴミ減量化を目指す福岡方式(準好気性衛生埋立て)を、パラオをはじめバヌアツ、ミクロネシアや他の大洋州諸国に導入している。まさに日本は小さな島々の循環型社会の実現へ向けて地道に協力している。こうした協力は、これからのODAの一つのモデルを提示していると言える。
※国際開発ジャーナル2016年3月号掲載
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