“経済協力の司令塔”を構築 安倍前総理大臣の功績を追って|羅針盤 主幹 荒木光弥

トップ・セールス

安倍晋三氏は令和2年(2020年)9月16日、体調不良を理由に内閣総理大臣を突然辞任した。そこで、今回は安倍氏の外交功績と、対外経済協力に関する足跡にスポットを当てることにした。

まず最大の功績は「自由で開かれたインド太平洋」構想である。これは16年8月にケニア・ナイロビで開かれた第6回アフリカ開発会議(TICADⅥ)で提唱された。その国際戦略性は、中国の自国中心的な「一帯一路」をはるかに超える構想だと言える。日本は太平洋とインド洋、アジアとアフリカとの交流を国力や軍事的威力と関係なく、「自由」と「法の支配」、そして「市場経済」を重んじる場として育て、豊かにする責任を担っていると述べている。

これまでも、大平正芳元首相の「環太平洋連帯構想」や、宮澤喜一元首相の「21世紀のアジア・太平洋と日本を考える懇談会」などの考え方が打ち出されてきた。だが、これらはアジア・太平洋という領域を超えていない。安倍構想はサブサハラ・アフリカを将来への広大な成長センターと見込んでいる。この構想はまさに歴史的な洞察力を秘めていると言える。

なかでもインドの役割が大きく期待され、インドのナレンドラ・モディ首相と安倍首相(当時)との関係は急速に深まっていった。そうした中で生まれたのが、日本の経済協力によるインド高速鉄道建設事業である。現在、総力をあげて建設中であるが、その事業費は巨額で1兆円とも2兆円とも見込まれている。そしてこれらの大半は円借款で賄われている。

これは、まさに経済協力の「トップ・セールス」である。第2次安倍内閣は12年(平成24年)12月の政権発足以来、「経済再生」を最優先課題にしてきた。それはアベノミクスと言われ高く評価されたが、自らの首脳外交による海外でのトップ・セールスでは約9兆円という経済的効果をもたらしたと見られている。その規模はこれまでと比べると3倍にも上るという(大下英治著『内閣官房長官秘録』イースト新書)。

霞が関主導のODA

ところで、筆者は当時の安倍首相とインドのモディ首相の関係を見ていると、血筋は争えないとその因果関係を深く考えさせられてしまう。安倍氏の祖父に当たる岸信介元首相は、戦後初めてのアジア歴訪の中でインドとの外交関係を切り開いた。1957年10月、ジャワハルラール・ネルー首相(当時)が日本を初訪問した際、岸元首相にインドの第2次5カ年計画への経済協力を要請した。これは、日本で最初の円借款協力となった。翌年には総額5,000万ドル相当の第1次円借款が取り決められる。その用途は電力、船舶などの整備だ。

そして安倍前首相は、そんな祖父に導かれるように、高速鉄道建設への円借款協力をもってインドの経済発展に寄与しようとしている。まさに“歴史的な邂逅”だと言える。

さて、これからが本題であるが、安倍前首相の対外経済協力における最大の功績は、ひと言で言うと「対外経済協力政策のトップレベルの議論と最終決定を首相官邸で実施したこと」である。それまでは、霞が関の官僚レベルで開発途上国からの援助要請を検討し、最後に閣議決定という、いわば形式的なプロセスを経て、霞が関官僚グループが実施するのがお決まりコースであった。

これは一つの仮説であるが、ことの始まりは1961年からの海外経済協力基金創設にさかのぼる。同基金の理事構成は当時の大蔵省、通産省、外務省、経済企画庁(主管役所)という4省庁体制であった。一説では、霞が関がこうした共管体制を組むことによって、政界からの横やり介入を集団で防ぐことを狙っていたとも言われている。これには、多分に政治家が介入した賠償時代の経験が反映されているのであろう。

したがって、閣議決定は長い間、政府開発援助(ODA)の形式的なプロセスに過ぎず、要請から決定、実施という全プロセスを霞が関官僚が差配してきたとも言える。

官邸主導のODA

ところが、安倍前総理は2005年当時の小泉純一郎内閣の官房長官時代から「対外経済協力会議」を主催して、経済界、援助実施機関の責任者からも意見を聴取するなど、経済協力を重視してきた。そして、06年9月の第1次安倍政権樹立以来、12年の第2次安倍内閣にも引き継がれる形で経済協力を継承して、官邸主導の「海外経済協力会議」(06年4月28日設置)が、以前の形式的とも言える「対外経済協力関係閣僚会議」を廃止する形で発足した。

その主な役割は、以下の通り。(1)わが国の海外経済協力(ODA、その他政府資金およびこれらに関連する民間資金の活用を含む)に関する重要事項を機動的、かつ実質的に審議し、戦略的な海外経済協力の効率的な実施を図るべく、内閣に海外経済協力会議を設置する。(2)会議の構成は議長が内閣総理大臣、議員が内閣官房長官、外務、財務、経済産業各省大臣。(3)会議は議長が主催し、必要に応じて内閣官房長官が代行する。(4)事務局は内閣官房。

海外経済協力会議は、まさにODAにとって、長年、筆者の主張してきた「司令塔」に当たるもので、しかもその範囲は民間との協力を含むなど広く、日本の国益に沿って、日本の海外経済協力のあり方を総合的、戦略的に考えるという点では、従来の霞が関官庁事務レベルの水準・領域ではない。

それは、米国の国際開発庁(USAID)、ドイツの経済協力開発省(BMZ)に並ぶ援助決定メカニズムだとも言える。日本の海外経済協力会議は、ODAについても国益重視を目指しているが、その傾向は欧米共にどの国も同じである。

安倍前首相は、ODAをまず日本の発展のために活用しながら、国内の援助コンセンサスを得て、途上国の発展に寄与する方針を貫いてきたと言える。さらに重要なポイントは、先に述べた「自由で開かれたインド太平洋戦略」の一環として、その要となるインドとの連携を深めるべく、インドの発展のために鉄道の高速化に取り組んでいる。これは現場レベルでは決して楽ではない国際協力事業となっているが、そこは途上国援助関係、企業ともども技術立国日本の意地を貫徹させてもらいたいものである。それは、また日本の世界へ向けての、信頼を高める「ショーウインドー」になるはずである。

※国際開発ジャーナル2020年12月号掲載

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