3兆2,000億円余の対中円借款
中国への政府開発援助(ODA)は「改革開放」を支援することから始まり、2021年度末をもってすべて終了することになった。そうした中で、1979年2月から始まった対中ODAの40年目という節目となった2019年に、12月7日から13日にわたり国際協力機構(JICA)と北京の清華大学との共催による「対中ODA40周年総括写真展・シンポジウム」が開催された。開幕式では福田康夫元首相が出席してスピーチを行った。父親の福田赳夫元首相は1978年に日中平和友好条約を結んでいる。写真展は、題して「新時代の日中関係を築く―改革は開放以来の日中経済協力の軌跡と成果」。後援は中国科学技術部国際協力局、財政部国際財政協力局、在中日本大使館だ。
中国財政部によると、対中円借款協力(中国は対中ODAは、いわゆる途上国援助ではないという立場をとっているが)は、1979年から2007年までの最後の円借款を含めて合計3兆2,165億円、231プロジェクトに達している。対象分野は工業、農業、交通、エネルギー、通信、環境保全、人材育成と幅広い。さらに、中国科学技術部によると、40年間で131件の技術協力、212件の開発調査、3万7,335人の研修、9,490人の日本からの専門家派遣、855人のボランティア派遣、190件の草の根技術協力が実施され、その累計額は1,853.02億円に達する。
インフラ関連では、港湾が秦皇島港湾拡充から始まり、大連、河北、青島、石臼湖、連雲、上海、宝山、深圳、海南島の港湾開発。空港は上海浦東国際空港に続いて北京、武漢、西安、蘭州、ウルムチなど。開発事業では水力の天生橋水力、五強渓ダム、北京十三陵揚水発電所などの水力発電が7件。その他に火力発電の案件が5件実施された。
筆者は対中協力の中でも、国土の保全を考えると砂漠化防止にも貢献する林業(植林)事業を注視し、その協力の純度を高く評価している。砂漠化現象は北京近郊にまで迫っていると言うから、中国は砂漠化の脅威にもさらされていることになる。
中国の国家環境保護協力については、2007年、円借款部門が中国の国家環境保護総局と覚書きを結んでいる。無償援助では日中友好環境保全センターを設立している。中国の環境被害は深刻で、例えば温室効果ガス排出、大気汚染、海洋汚染、砂漠化など、まさに“環境問題のデパート”だと言われてきた。その中で、中国政府は第9次の5カ年計画(1996年~2000年)で環境投資を倍増させ、日本からの円借款は環境総投資額の約10%。外国資金の約3%を環境改善、予防に充てている。なかでも、工場の排ガスの民間利用や廃棄物の再利用を目指す循環型経済政策の導入は高く評価されるものである。
見失われたか改革開放の心
さて、ここで本題に入りたい。
今回の「対中ODA40周年総括写真展・シンポジウム」について、当事者は開催の意図をこう述べている。
「改革開放政策から習近平“新時代”に至るまでの中国の経済発展と、そこに関わっていた日中の経済技術協力活動を振り返り、特に中国の青年層や市民層が、この間の歴史を振り返るための参考にされることを期待した」
過去をどう振り返り、そして将来をどう展望するのか。今の中国を考える時の良い命題だと思う。これには色々な見方、考えがある。例えばその一つは、1980年からの改革開放政策があったからこそ、今日の習近平“新時代”が到来した。その間、日本が友好のためにどれだけ献身的に協力したかを中国の今の若い世代に知ってもらいたいという狙い。もう一つは、劇的に成長した中国がここらで過去を振り返り、「改革開放」の初心に戻って、中国の進むべき将来を中国の若い世代に考えてほしいという願いが込められているように思われる。
昨年はNHKの「中国“改革開放”を支えた日本人」という番組が多くの関心を集めた。周知のように、中国が文化大革命後の混迷期から脱出できたのも、鄧小平による「改革開放」政策によるところが大きい。日本は世界中が中国への融資を渋っている時に、「開かれた国」を願って先陣を切るように融資した国である。国家の基礎インフラともいうべき空港、港湾、鉄道、電力への建設資金(円借款)を提供し、中国の改革・開放を援護した。
習近平王朝への不安
NHKの番組では、中国近代化の走りとなった宝山製鉄所建設をめぐる日本の悪戦苦闘劇が描かれ、次いで、中国経済再建のための政策立案に関しては、改革開放政策を担当した谷牧副首相と、戦後の日本再建のために経済復興政策立案に献身的な役割を果たした大来佐武郎(一般的にはエコノミストと呼ばれていたが、大平第2次内閣の外務大臣をも務めた)との厚い交流が取り上げられている。中国の経済再建には、日本の戦後復興政策が貴重な参考になったと言われている。北京での大来氏の「日本の戦後復興政策」という講演が大反響を呼び、これが北京首脳部にまで及び、大来氏は改革開放のアドバイザーを務めることになる。これは、日本の中国への知的貢献を代表するものとなった。
「改革開放」が始まった頃の中国は、確かに“開かれた中国”というイメージを強く与えていた。自由開放度も高くなると考えられていた。政治体制的には共産党による集団指導制がとられていたが、今では局面が大きく変わり、集団指導制から習近平の独裁体制へと進み、まるで中国歴代王朝の帝王のような支配体制を築こうとしている。今では「改革開放」とは何だったのかと、中国の将来に不安を抱くのは筆者だけではないだろう。
今回の対中ODA40年の回顧展を見学した青年たちが、何を思い考えたかは判然としないが、急成長している中国は、ここらで少し立ち止まって、過去を振り返りながら、世界の人びとの信頼は得られているのか、文明的な開かれた国のあり方を考えてほしいものである。対中ODAの回顧展を通してこうした思いが中国の青年たちに、なんらかのメッセージを送ることができたならば、回顧展の開催意義は大きい。
※国際開発ジャーナル 2020年2月号掲載
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