過去の教訓
2016年7月1日(金)の夕刻、バングラデシュで日本の政府開発援助(ODA)史上で取り返しのつかない大惨事が起こった。日本のODA事業を知的に支える開発コンサルタント7人が突如として猖獗(しょうけつ:悪いことがはびこる)を極めるイスラム国(IS)テロリストにこれからの未来を奪われた。
筆者の悲憤慷慨は頂点に達した。
「なぜこの悲劇を阻止できなかったのか」が今回の事件への問題提起である。そこで、今回は「ODA事業の安全対策」をテーマにこれからを考えてみたい。
ODA事業に携わる人びとがテロリストに襲われて命を奪われた事件は、今回のバングラデシュで2回目である。1回目は25年前の1991年7月12日ペルーで起こった。国際協力機構(JICA=当時は国際協力事業団)がペルーの地方に設立した「野菜生産技術センター」が、センデロ・ルミノソ(輝く道)と名乗るテロリスト集団に襲われて3人の日本人専門家が無残にも射殺された。
当時は、その1年前に政権の座についた日系人のアルベルト・フジモリ大統領が治安を乱すゲリラに対し、強力な軍事力による掃討作戦を実行していた。多くのテロリストたちはフジモリ大統領を敵視し、掃討作戦への報復を画策していた。
一方、日本政府は日系人の大統領を支援すべくペルーへのODAを強化していた。テロリストたちにとってフジモリ政権打倒のためにも、日本政府がテロリストの根拠地でもある地方にまで援助の手を広げることに反撃しなければならなかった。彼らは地方農村が豊かになれば革命の大義名分の喪失と共に革命への支持者たちが減少するという自分勝手な考えに立っていた。
二つの事件の共通点
この事件と今回のバングラデシュ事件には共通点がある。ODA専門家たちは多くの場合、貧しい人びとを助けるという使命感を抱いており、政治的思惑などは持ち合わせていない。専門家にはそういう人たちが多い。それを甘えと言えばそれまでである。ODA事業に関わる多くの場合、JICAスタッフをはじめ、専門家、開発コンサルタントたちは意図的に政治的には中立的な立場に立っている。そして、常に現場に立ち、現場の貧しい人たちに味方する。専門家たちには国を造ることを助ける誇りがある。
他方、テロリストたちはたとえば、フジモリ政権下での協力者はすべて敵という考えに立って、ODA関係者も敵視していた。冷戦時代には中米で米国のピースコー(平和部隊)も多く殺害されている。
日本は米国のように軍事的支援をしていないから日本のODA関係者を敵視していないだろうという、ある意味で独りよがりの解釈をしていたと言われても抗弁できないだろう。一種の平和ボケ現象である。だから、あの時は地方のODA専門家たちにテロ襲撃の緊急事態を知らせる手段にも事欠いていた。テロ危険情報を知らせる手段(具体的には携帯電話など)なども持ち合わせていなかった。つまり、テロ対策が徹底されていなかったと言える。
現場での危険情報収集はそれなりに出来上がっていても、情報を伝えるという危機対策が完全ではなかったのである。当時、こうした不備が問題視されて、一部の遺族からは国の責任を問う“国家賠償”問題が持ち出されたくらいであった。
テロ情報分析力と伝達力
今回と前回のペルー事件を比較してみると事件の本質は異なるものの、問題の本質でもあるテロへの対処という点では決して異なるものではない。
第一点は、テロ情報分析能力の問題である。ペルーの時もテロリストの存在を軽く見ていたフシがある。だからテロ対策に遅れをとっていた。今回のバングラデシュの場合も、バングラデシュ政府は数多くのテロ事件が起こっていても、それは政敵の仕業であって決してISの仕業ではないと断言していた。
その理由は明解で、ISの浸透している国というイメージが国際的に広まると、外国投資や援助にも大きな悪影響を与えると考えているからである。そのダメージは大きい。これに日本も外交的には同調してIS不在を建て前にしていたが、それがJICA本部のみならず、JICAのバングラデシュ事務所にまで定着して、早目のIS対策を遅らせたのではないかという疑惑を生んでいる。
つまり、IS分析、そしてその対策に遅れをとったのではないかというのである。これは疑惑であって事実ではないかもしれないが、少なくともISの情報収集と専門的な分析力が在バングラデシュ大使館はじめJICA現地事務所に存在していたかどうかは定かでない。
第二点は、ISのテロなど危険情報の伝達能力の問題である。仮に情報収集と分析能力が向上していても、次はその危険情報を開発途上国の地方などの現場第一線で働く人たちに、どう効率的、効果的に伝達することができるかという問題を解決しなければならない。
この情報は外務省の発表する観光客など一般向けの危険情報とは根本的に異なる。それは普段から治安の良くない開発途上国で働く人たちのために、かなり精錬された情報であって、それをJICA直系の関係者だけでなく、開発コンサルタント、コントラクターなど現場で働く専門家たちに広く、いち早く伝達できるかどうかが問われているのである。そのシステム化、ネットワーク化が問題である。
日頃からの危機対応能力を高めるトレーニングも大切だが、現場で間髪入れずの情報発信能力をどういう形で構築するか。今回のバングラデシュ事件を顧みながら、あのレストランに予約した時点で、あるいはレストランに入る直前にISテロ警戒情報が入っていればと悔しい思いが先立ってしまう。
言うまでもなく人の命は何ものにも代えがたい。ODAの仕事は、常に治安の悪い所での仕事が多い。政府がODA事業をこれからも続けるならば、大切な命を守るための投資を惜しんではならない。具体的にはテロ情報の収集力・分析力の向上とその情報伝達の有効なシステム化、ネットワーク化などへの投資を必要としている。それが少なくともバングラデシュで亡くなられたODA専門家たちの志を継ぐものであろう。
※国際開発ジャーナル2016年9月号掲載
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