平和的な緩衝帯
7月21日の参議院議員選挙で安倍晋三首相率いる自民党が圧勝した。人びとはデフレ経済から脱出を図り、経済成長につなげるアベノミクスに期待を寄せたものとみられる。安倍首相は常々、日本の成長戦略にアジアの経済成長を取り込む、と述べているので、筆者はそこに注目したい。
安倍首相は、すでにミャンマーを訪問しているが、これからの外交日程を見てもAPEC(アジア太平洋経済協力会議)、ASEAN諸国との首脳外交に力を入れている。首相は、昨年12月の第2次安倍内閣発足後、すでにASEAN10カ国中7カ国を訪問しているが、日本外交の空白部分「アジア首脳外交」の復活で日本の新しい地平を切り開く決意のようである。
こうした首相の行動力を見ていると、戦後、アジア外交への道をつくった岸信介首相、その軌道をASEAN外交という形で固めた福田赳夫首相の流れを追っているように感じる。安倍首相にとって岸首相は祖父にあたる。血筋は争えないものである。
福田首相のASEAN外交で歴史に残る偉業は、1977年の「福田ドクトリン」である。その最大の特徴は、日の昇る勢いで高度経済成長を続けている日本への東南アジア諸国の懸念にこたえて、「日本は軍事大国にならない」と銘記したことであった。そのうえで、日本とASEANの関係は平等目線でハート・ツー・ハート(心と心の交流)でなければならないと唱えた。
さらに、ドクトリンではASEAN各国の連帯性と強靭性を強めるために協力することを盛り込み、経済の域内発展をめざした域内工業化プロジェクトの形成に10億ドルの協力をコミットした。
日本はアジア地域においてASEANが健全に発展し、政治的中立を維持することを願っていた。それは、北からの中国の脅威のみならず、西のヨーロッパ、東の日本、米国などの脅威も含めて、ASEANがアジアの中での“平和地域”として発展することが、日本の平和と安定に大きく寄与するものと考えていた。
現在、ASEANは大きく変貌し、2015年をメドに域内貿易自由化、関税撤廃、そして域内統合へ向けて躍進している。アジアにおけるASEANの地位は確実に高まっている。それは経済的な地位だけでなく、アジアの平和への貢献という地位も1970年代と同じように重要な政治課題になっていると言える。
周知のように、ASEAN地域はベトナムの西沙、フィリピンの南沙の帰属問題をめぐって、海洋進出を狙う中国と平和的でない状況に直面している。
かつて、冷戦時代は北からの中国共産主義の脅威を集団で防ぐASEANという意味合いを強くにじませていた。ところが、そうした脅威は現在も過去と違う意味で続いている。しかも、中国とASEANの経済力という面でも昔と今では雲泥の差がある。経済力を戦略的に使った中国の南方海域への領土拡大政策には恐怖さえ感じる。
ASEANがこれをどう防ぎ、ASEANの団結を強化できるのか。それは、ASEANにとってアジアの“平和的緩衝帯”という意味で域内統合と同じように重大な試練に立たされており、外交課題になっている。
統合のアキレス腱
日本はこうしたASEANの苦難にどう側面協力できるのだろうか。日本にとってASEAN外交の冴えの見せ所でもある。日本も尖閣列島問題で中国と対峙しているので、外交的には微妙な立場にあるかもしれないが、まずは、ASEANが中立の平和的緩衝帯を維持できることを最優先にして、その平和的解決に英知をしぼってほしいものだ。それが巡り巡って、日本の平和と平安に連動してくると考えるべきではないだろうか。
次は、ASEANの団結にとって最大の課題である経済発展に着目してみたい。ASEANのアキレス腱は、先発組のタイ、マレーシア、インドネシア、ブルネイ、フィリピン、シンガポールの6カ国と、後発組のベトナム、カンボジア、ラオス、ミャンマーとの経済格差が大きいことである。域内経済統合のためには、なんとしてもその経済格差を縮めることにあるという。そのためには海外からの投資だけでなく、域内投資によって今まで以上の産業の高度化が図られ、社会的不平等が是正され、人びとの安心と安全が守られることを目指す必要があろう。
とくに後発国において投資環境の不備(法整備、インフラ整備、高度な人材不足など)があれば、ASEAN全体の調和のために日本政府も民間も連携して新しい発想で事に当たる必要があろう。
すでに政府開発援助(ODA)ベースでは、最も遅れているミャンマーを中心に、後発ASEAN組に対する資金協力、技術協力を着々と進めている。しかし、それはASEAN域内統合のアキレス腱である格差是正をどこまで意識して、政策的に、そして戦略的に押し進められているのか、政策の整合性が見えてこない。外務省には、いまだに東南アジア二国間外交という意識にとらわれて、ASEAN地域外交という総合的な安全保障外交が欠落しているように見受けられる。
ODA実施でも、JICA(国際協力機構)ではいまだにASEAN地域外交という意識、感覚よりも、これまで通りの二国間外交に比重を置いたプロジェクトづくりに終始している。
「中進国の罠」
以上、ASEANの域内格差を問題にしてきた。これは確かに後発ASEANにとって切実な問題である。だが、一方の先発ASEANも後発同様にアキレス腱を抱えている。先発組のなかには、シンガポール、ブルネイのように、特殊で、中進国的存在の国もある一方で、ひたすら付加価値の高い工業化で安定した国家運営に精を出している国々もある。なかにはマレーシアのように、間もなく中進国入りを果たそうとしている国もある。
これら先発組は、これまで安い労働力を武器に外国資本と技術を呼び込んで輸出競争力を発展させて、ある程度の工業化は成功の域に達している。だが、その成功も徐々に次なる大きな壁にぶつかって停滞気味である。その壁とは、いわゆる「中進国の罠」である。
たとえば、タイに進出した日系の自動車企業は、タイをR/D(研究開発)の拠点にしようとしている。タイ政府も、労働集約型産業からR/Dを伴った資本集約型産業への転換を図ろうとしている。2年ほど前に、バンコク進出の日系自動車企業とのある会合で聞いた話であるが、タイ人には技術の核心にふれるような、より基礎的な研究意識や意欲が欠落しているという。
おそらく、より基礎的で技術的なイノベーション意識の欠落は、インドネシア、マレーシア、フィリピンなどにも共通している現象ではないかと思う。こうしたことが、「中進国の罠」の典型だと思う。
工業製品の輸出に依存している新興国、これに準ずる途上国には、遅かれ早かれ「中進国の罠」が待ち構えているという。だから、その一方でこうしたワンパターンの立国主義を真似ることなく、多様な立国の条件を模索すべきだという意見も聞ける。
しかし、先発ASEANは工業化による貿易振興を軌道に乗せている以上、自らの力で「中進国の罠」から脱出しなければならない。これはASEAN全体の平安と安定にも深く関わってくる問題である。したがって、日本はこうした面でも協力する余地がある。
わが国のODAは先発ASEANの研究開発能力のレベルアップのために高度な技術協力、高度な人材育成などにも進出すべきである。
それが、ODAに対する時代の要請でもある。ODAは外交の手段という意味においても、DACのODA定義という古典的なODAの解釈から開放される時代を迎えている。
※国際開発ジャーナル2013年9月号掲載
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