経済協力史に見る日韓関係 日本にとって宿命的な朝鮮半島|羅針盤 主幹 荒木光弥

対韓経済協力の歴史

日韓関係が紛糾している。それは今に始まったことではない。そして、いつの場合でも、経済問題であっても、日本の軍国主義時代の「慰安婦」や「徴用工」問題が引き出され、現代日本を精神的に脅迫している。そして日本は譲歩を余儀なくされてきた。

日韓関係が正常化されたのは、1961年の朴正煕の軍事クーデターで反日の権化のような李承晩初代大統領が倒されてからである。それでも韓国民の反日感情は燃え続け、1962年11月に大平正芳外相と金鍾泌・中央情報部長との間で日本への韓国の請求権問題(戦後賠償に類似したもの)が大筋合意したものの、激しい反日デモで中断される。

1965年2月になって椎名悦三郎外相が「日韓両国間の長い歴史の中に不幸な期間のあったことは遺憾であり、深省する」と述べ、同年6月には「財産および請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」が締結されて、対韓経済協力が始まった。

その規模は、政府開発援助(ODA)の無償資金協力が3億ドル、円借款協力が2億ドル。前者は農漁村開発、中小企業支援を通して人材育成にも貢献するものだ。後者は21におよぶ開発プロジェクトを支援し、それらは昭陽江ダムなどの電力開発、浦項製鉄所などの基幹産業開発や中小企業支援などに及んだ。

筆者は、1977年暮れ(朴大統領暗殺の3年前)に韓国を取材した。その時は年平均10%の経済成長率を達成するほどに躍進しており、すでに日本に習って始めた10大商社の育成も軌道に乗っていた。

次いで1980年1月、朴大統領の後釜として就任した全斗煥大統領と中曽根康弘首相との間で「新しい次元に立った日韓関係」という共同声明が公表された。それから1年半の交渉の後に対韓協力40億ドルが決まる。韓国側の要請は60億ドルと言われていた。その時は「過去の不幸な歴史に対する反省」という共同声明が公表された。日韓関係はいつの時代でも過去の歴史への賠償から始まる。表面的には新次元の日韓関係と言っても、その中味はいつも賠償感覚が支配的である。

対韓協力40億ドルの内訳は、当時の海外経済協力基金(OECF)の円借款が18億5,000万ドル、市中銀行を含む日本輸出入銀行枠が21億5,000万ドル融資。当時、韓国側は商品援助を考慮したようだが、日本側はバンクローンによる中小企業育成を強調した。

歴代韓国政権の対日約束

以上が日本の歴史認識に立脚した経済協力である。そして、こうした経済協力の成果をもって、慰安婦や徴用工問題も韓国政府自らの責任で解決するという約束が取り交わされた。

ところが今の韓国政府は、徴用工問題でも、対日約束を国家として守るために国民を説得して国内的な収束を図ろうともせず、むしろ問題を再燃させるような態度をとっている。日本の歴代の政権担当者は、「過去の不幸な歴史に対する反省」として、多額の経済協力を実施し、また韓国側の歴代政権担当者も日本の経済協力で韓国経済を発展・安定させ、その成果・果実をもって慰安婦、徴用工の問題などを国内的に解決すると約束したはずである。

こうした対外的な約束が、政権が変わるごとに白紙に戻されるとしたら、韓国には国家としての一貫性がなく、近代国家としての資格がないのではないかと疑われても抗弁できないだろう。今の韓国政府を見ていると、近代国家としての国際的信用を失墜させる恐れがある。

ただ、日本に対して正常でない今の韓国政府の態度を見ていると、北朝鮮による日本と韓国の分断政策にもつながっているのではないかとの疑惑も感じられる。特に日本との経済的分断は、韓国政府がどんなに強気でも韓国の受けるダメージは大きいはずである。

朝鮮半島はその歴史をたどると、北にはロシア、南には日本、西には中国という強国に取り囲まれて、朝鮮民族は常に大きな脅威にさらされてきた。中国は清朝時代まで華夷秩序(朝貢支配)を続けていた。しかし、1895年4月に日本が清朝に勝利した日清講和条約締結で、朝鮮の華夷秩序(朝貢体制)は崩壊し、朝鮮ははじめて清国との属国関係から解放され、大韓民国の道をたどることになった。

これで清国の朝鮮半島への直接的な脅威はなくなった。しかし、北からのロシア帝国の南下工作は続き、日本にとっても大きな脅威となっていた。

北からの脅威と朝鮮半島

『日本外交の150年』(41ページに書評を掲載)によると、1895年頃の日本は朝鮮開化派の親日政権を支援していたが、朝鮮高宗の皇后はロシアと組んで日本をけん制する。1895年、今度は日本寄りの開化派が皇后を殺害して新政権を樹立したものの、次は高宗自身が開化政権を一掃して親露派政権を樹立する。1897年に高宗はロシア公使館から王宮に戻り、皇帝に即位して国号を「大韓」と定める。日本勢力は後退を余儀なくされた。しかし、日清戦争に勝利した日本は、ロシア勢力を少しずつ北方へ押し戻すことに成功する。

とにかく、朝鮮半島は日本の安全保障にとって厄介な存在で、西郷隆盛の「征韓論」は脅威論に立脚していた。だから、日本の朝鮮進出は朝鮮民族の反発を受けながら、日本の統治下に置かれていた。日本帝国は日本の安全保障を確保するために、好むと好まざるとにかかわらず、軍事をもって朝鮮半島の支配を続けた。その支配地で徴用工や慰安婦問題が絡んでくるのである。日本としては、北方からの脅威を払拭したものの、朝鮮半島の人びとに対し統治を維持する上である程度の犠牲を強いたことは事実であり、これを歴史的な事実として日本は認めざるを得ないだろう。

21世紀の現在は、ロシアあるいは中国に後押しされた北朝鮮が韓国統合を狙っているかもしれない。だから、日本にとって朝鮮半島は昔のままのロシアの脅威にさらされていると言える。そして、西からは国境を接する中国が北朝鮮を含む朝鮮半島支配を視野に入れているに違いない。だから、日本にとって朝鮮半島の平和と安定は昔も今も変わらない。米国の防衛力に依存する朝鮮半島の現状維持は、平和な国・日本にとってかけがえのない存在である。その意味で、日本にとって健全な韓国の存在は重要だ。そのことを日本は忘れてはならない。

※国際開発ジャーナル2019年10月号掲載

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