対米不信のフン・セン首相
「独裁色を強めるカンボジアのフン・セン首相」「中国の一党独裁に魅了されたフン・セン」という見方が国際的に広まっている。特に欧米は民主主義の後退、人権侵害への危機感を深めている。
2017年9月、野党第一党である救国党のクム・ソカー党首が、米国の支援で国家転覆を図った疑いで逮捕された。その後、最高裁判所は党の解党と、118人に及ぶ政治活動の5年間の停止を命じた。今年の8月23日、その救国党幹部(ム・ソチュア副党首)が来日し、新聞インタビューで「民主主義を取り戻し、過度の対中依存から抜け出すべきだ」と訴えた。
救国党は2017年の地方評議会議員選挙で、フン・セン率いる人民党の得票率50.8%に対して、43.8%という得票率を獲得し、フン・センの危機感をあおるような結果を出している。まさに、フン・センの足元を崩す政治勢力が出現したのである。そこで、中立性が疑われる司法制度の下で、合法的に政敵を葬ったことになる。次いで、フン・セン政権はフン・センを批判するメディアやNGOの閉鎖を命じている。例えば、英字新聞『カンボジア・デイリー』の廃刊、米国支援のラジオ局「ラジオ・フリーアジア」と「ボイス・オブ・アメリカ」プノンペン支局の閉鎖などがある。NGOの関係では、選挙を監視するNGOが閉鎖され、さらに人権団体「カンボジア人権センター」がNGO法に基づいて活動停止の警告を受けている。
フン・センの対米不信は根深いものがある。フン・センにとって対米不信はベトナム戦争そのものかもしれない。加えて、1970年に当時国家元首であったノロドム・シハヌークが、外遊中に共和派のロン・ノル将軍によるクーデターでその座を追われた際、その背後にインドシナ半島の共産化を恐れる米国がいたという疑惑が、フン・センの対米不信を深めたと言われている。
フン・セン首相にしてみれば、民主主義、自由主義の名の下で米国の内政干渉が始まっていると受け止めているのかもしれない。しかし、フン・センが「カンボジアにはカンボジア流の民主主義がある」と言ったとしても、今のフン・セン流儀は政敵を倒し、一党独裁へ進もうとする姿が丸見えである。
サバイバルに強い革命児
ここに、混迷のカンボジアを立て直した国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)の特別代表を務めた明石康氏の著書『カンボジアPKO日記-1991年12月~1993年9月』(岩波書店)がある。その中で、フン・センについてこう述べている。「もう一人の和平プロセスの主人公(シハヌークに次いで)は、人民党リーダーのフン・センと言ってよいであろう。フン・センはヘン・サムリンに代わりプノンペン政権でリーダーの地位についた人物である(ヘン・サムリンはフン・センと共に1978年にポル・ポト派に属しながら同派から離脱してベトナムに脱走し、ベトナム軍の支援を受けてカンボジアに侵攻し、ポル・ポト派を放逐した同志)。
カンボジア和平のきっかけも、1987年12月にシハヌークとフン・センとのフランスでの会議から始まった。フン・セン率いる人民党は実質的にカンボジア全土を統治しており、行政府を有する唯一の党派でもあった。そしてフン・セン自身は実務能力にも長け、若くして党の指導者の一人になった」と、この日記には書かれている。
明石氏は、フン・センを「カンボジアのゴルバチョフ」と半分おだてながらも、フン・センと人民党が硬直した古い社会主義の体質から脱皮させ、同時にUNTACの和平プロセスにしっかり取り組むことの重要性を認識していた、と書いている。
しかし、25年以上経った今日のフン・センをどう見ているかと言えば、明石氏は日記でこう述べている。「総選挙はおおむね民主的に実施されているが、フン・セン首相の姿勢はやや独裁的になりつつあるとの懸念も持たれている。当時の政治的主役のうち、シハヌークは2012年に死去し、第一首相のラナリットは事実上フン・センとの権力闘争に敗れ、カンボジア政治の表舞台から去った。ポル・ポトも1998年に死去し、同派を代表していたキュー・サンパンはポル・ポト時代の虐殺を裁くカンボジア特別法廷で被告として裁かれた」。
つまり、フン・センの前には新生カンボジアづくりに参画したリーダーたちは一人もいなくなった。その意味で、フン・センのねばり勝ちの観がある。それはまた、フン・センがまれに見る戦略家であると同時に、策略家であると言えないこともない。
「新生カンボジアの立て役者はフン・センだ」という気持ちになっていることは理解できないわけではないが、だからと言って民主的統治の本道からはずれて、自分に都合の良いように権力を使うならば、それはどう見ても独裁者である。それはまた最近、フン・セン首相が傾倒する中国の共産党一党独裁とも異なるものである。
援助国日本の責任
最後に一言。もし、フン・セン首相にアドバイスするならば、カンボジア国家の創成期に、先のUNTAC時代から、犠牲者を出しながら、その後の国家建設で地道に経済インフラ、生活インフラの整備や人材育成を政府開発援助(ODA)を使って実施してきた日本しかいない。このままだと、フン・センは中国に完全に呑み込まれる。すでに南シナ海領有権問題でも、ASEANの意向に背を向けるように中国の主張に取り込まれている。フン・センの行動は今やASEANの団結にとって大きな問題になっている。それはまた、安倍晋三首相の「自由で開かれたインド太平洋」構想の一角を崩すことにもなりかねない。
しかし、これまでの日本は内政不干渉の立場を貫いてきた。どの国とも仲良くするという商業主義、貿易主義を優先させてきた過去を見ても歴然だ。フィリピンのマルコス大統領、インドネシアのスハルト大統領、タイの軍事政権に対しても、重大な人権問題が起こっても没干渉であった。
もし、これからも援助(ODA)を続けるならば、ここらでカンボジアの健全な民主主義を育てるという考えに立って、日本は静かにフン・セン首相にアドバイスすべきではなかろうか。それは、ASEANにとっても、また健全なASEANの発展を願うアジアの中の日本にとっても望ましいことだと言える。
※国際開発ジャーナル2019年11月号掲載
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