「チャイナ・リスク」 どこへ行くのか日中関係|羅針盤 主幹 荒木光弥

中国脱出の本邦中小企業

尖閣列島をめぐる日中関係は、かつてないほどの劣悪な事態へと陥った。9月に発生した中国人たちの「反日デモ隊」は、自然発生というより計画的に全国で組織されたかのように、“愛国無罪”を叫んで日本政府の代表部である大使館のみならず、日系のデパート、スーパーマーケットから多くの自分たち仲間が働く日系工場まで破壊し、略奪した。誰が見ても法治国家とは言えない状況であった。

若者たちが叫んでいた“愛国無罪”は、どの国をも対象にした考え方でなく、日本に特化した歴史認識から生まれた特産物だと言える。本格的な日中戦争の発端となった盧溝橋を案内した若い中国女性は、学生時代に暗記したままに何年何月何日に戦争に突入したかを教えてくれたことがある。彼女いわく、すべて学校教育で教えられたものだと言う。それが組織的な“反日教育”になっている。高度な教育を受けて理性的にものごとの判断のできる人たちや裕福な人たちは、冷静な判断ができるかもしれないが、現政権に不満を抱く者や貧困状態に陥っている人にとって、反日教育は可燃性の高い発火装置だと言える。

だから、中国はいつ今回のような破壊行為が発生するか予断を許さない国である。今回もその裏には、共産党内の権力闘争が一枚かんでいると言われているが、投資家にとっては実にリスクのある国である。最近では日本の中小企業でさえも“チャイナ・リスク”を口にして、安全地帯へ逃避しようとしている。

今回の事件が起こる少し前のことだが、関西の繊維関連の中小企業経営者が訪ねてきて、「中国の上海工場を将来有望なミャンマーへ移したいが何か良い手立てはないか」との相談を受けた。

それによると、中国人労働者の賃金も上昇し、今では投資メリットも低下している。さらに、生産物の80%ほどは日本への輸出になり、残り20%ほどは中国の国内販売が可能という条件だったが、国内業者の保護のためにその途も断たれてきたので、中国から脱出せざるを得なくなったと言うのである。

その経営者は、ミャンマーを今でもビルマと言う“ビルマ大好き人間”である。もし可能ならば、日本政府の応援で「繊維工場団地を造成してもらい、そこに繊維の織りから製品までの一貫生産工場を建てたい。どうせなら、ビルマ人に繊維産業の技術から経営までを移転したい。さらに、地方の農村では綿花栽培も指導し、それを輸入綿と混合させて使いたい」という夢を語っていた。米国の制裁解除も実施され、大量の繊維輸入が見込まれるので、ミャンマーの繊維産業は前途有望だ。

中国への投資をかなり調整しようとする動きは、大企業にも出ている。反日デモ隊に日本車が狙い撃ちされたトヨタなどは対中投資を現状のままで維持し、状況を静観するのではないかと見られている。多くの日系企業は今回の反日暴動で中国共産党支配の根深さを再発見して、これまでの対中投資に一定のブレーキをかけていくものと見られている。

見直されるフィリピン

その一方で、他のアジア諸国はこれを日本からの投資呼び込みの絶好のチャンスと見ており、なかでもフィリピンはさっそく日本企業誘致の要請を日本政府向けに発信している。特に、フィリピンの2011年度のGDP成長率は前年の7.3%に比べ3.7%と失速しているが、主な原因は輸出の減退である。その回復には輸出力のある日系企業の誘致がターゲットになっているようだ。

日本側でも国土交通省やジェトロが中心になって瀬戸内でフィリピン投資向けの造船セミナーを開く一方で、来年には日本の造船業界によるフィリピン投資ツアーも実施される予定。実は現在、フィリピンでは造船業が脚光を浴びている。特に、セブ島西海岸のバランバン市にある日本の造船所の常石重工業セブが注視の的である。ここはセブ市から約60キロ離れた所にあるが、造船所の数メートル沖合いは水深400メートルのドロップオフという恵まれた地理的条件を有している。しかも賃金は日給285ペソ(日本円で約530円)で、マニラのマカティ市の420ペソ、セブ市の305ペソに比べると格安である。それでいて労働者の質が高いと言う。

造船労働者の技能は、主に労働集約的な溶接、塗装、足場の3つに分類されるが、ここでは常石重工業セブ独自の研修センターで熟練度を上げ、造船にとって一番大切な溶接技術では日本基準で最上位の技能者を700人も擁している。

同社が1992年に進出する以前は、一面水田で何もなかったが、JICAフィリピン事務所によると、ODA円借款協力でセブ島横断アクセス道路の整備を契機に、今では1万3,000人の労働者を雇用し、住宅ローンの提供から病院の改築、さらには大学の誘致などを含めて、まさにコミュニティーの開発支援まで手がけ、10万人規模の町の生活を支えている。ODAで言うところの開発課題を解決しているのである。

それは、アキノ政権の掲げる“Inclusive Growth(広く行きわたる成長の恩恵)”に向けた製造業振興の理想の姿だとも言われている。ちなみに、常石重工業セブは常石造船グループの中で最大の生産拠点であり、累計で137隻の2万3,000~18万トン級のバラ積み船や車両運搬船を建造している。

とにかく日本の企業は、“チャイナ・リスク”を回避すべく、広く他のアジア諸国への投資再配分を進めていくことが予想される。“愛国無罪”が罷り通るほどに反日感情が育成されていては、腰を据えて投資もできない。

2012年の通商白書は冷静に中国のリスクを分析しているので、少し紹介してみよう。当面のリスク要因の注目点を3つあげている。①住宅価格の動向、②地方政府の債務問題、③欧州債務危機に伴う輸出の減退など。

労働集約産業の衰退

さらに、中長期的な課題としては、経済成長の陥穽をとりあげて、労働市場、人口動態を分析している。なかでも中国とアジア主要国の日系製造業の給与水準比較は参考になる。その場合、日系企業は製造業を中心に、ワーカーレベル、正規雇用、実務経験3年程度の作業員の基本給、諸手当、社会保険、残業代、賞与を含んで、中国とアジア主要国との賃金比較を行っている。

それによると(2010年調査)、年間総負担レベルで北京6,000ドルに対しクアラルンプールは5,700ドル、上海とクアラルンプールも約5,600ドルレベルでほぼ同じ賃金水準である。また広州とバンコクは5,100ドルほどで同水準賃金レベルである。

ちなみに、インドのニューデリーは4,200ドル、フィリピンのマニラ3,900ドル、インドネシアのジャカルタ3,200ドル、ベトナムのハノイ1,800ドル、バングラデシュのダッカ1,000ドルというように、中国の都市部よりはるかに低い賃金レベルである。

このように、中国の賃金は年を追って上昇し、これまでのような労働集約型産業に有利な賃金体系ではない。

こうして見ると、日本のアジア投資も中国重点からアジア分散型へ移行していくものと見られる。残るは中国マーケットの有望性である。それは、中国での生産/販売の併用型から販売流通開発へと重心が移っていくことが予測される。しかし、それも日本製品が敵視されるようでは、不安定な市場になってしまう。

日本人は中国ビジネスを“政経分離”だと思ってきた。しかし、日本に限っては「反日教育」が続く限り、いつ“政経合体”に早変わりするか予測がつかない。それでは、日本にとってまともに経済交流できる国ではなくなる。日中間は一衣帯水と言われても、敵視的な「反日教育」、共産党支配体制に都合の良い一方的な歴史認識が続くようでは、日中の溝は深まるばかりである。

筆者は、1980年から始まった対中経済協力が「開かれた中国」を実現するかもしれないと思って支持してきた。たしかに改革・開放政策で経済は驚異的な勢いで発展し、開かれた。しかし、政治は閉ざされたままである。

※国際開発ジャーナル2012年11月号掲載

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