戦略的要衝
日本は現在、明治150年を迎えている。さて、周知の「天気晴朗なれど波高し」とはロシアのバルチック艦隊との日本海海戦で東郷元帥が発した第一声である。ところが、現在ではロシアに代わって中国が台頭し、東シナ海から太平洋へ戦略的な膨張政策が拡大し、太平洋に点在する多くの島嶼国が中国の高波に呑み込まれようとしている。
南太平洋のトンガはすでに中国への借金漬けで中国の影響が強まって、オーストラリアの安全保障に影響を与えつつあるが、もう一つのターゲットは、米国領グアムをかすめながら南下する中国の防衛第2列島線上にあるパラオではないかと見られている。中国にとってみれば、パラオは東シナ海から太平洋への出口として格好の戦略拠点になるはずである。
俯瞰すると、パラオはフィリピンのミンダナオ島、インドネシア領、マレーシア領、ブルネイを含むボルネオ島、そしてインドネシア領のスラウェシ島、パプアニューギニアの一部などの東端に位置し、大きくは東シナ海、南シナ海から太平洋をにらむ要衝の地にあると言える。それゆえに、米国は1994年のパラオ独立以来、「自由連合協定」を結び、コンパクトマネーと言われる経済援助を続けている。
そうしたこともあって、パラオは中国の「一つの中国」政策に同調せず、数少ない台湾支持国であり、一方、パラオ経済を支える台湾の観光客数も日本人を大きく凌駕するほどであった。
ところが、今ではどういうわけだか状況が一変し、中国本土からの観光客が大量に殺到して、今までの台湾、日本を圧倒する勢いである。実は、パラオの国民総生産(GNP)の90%は観光収入に依存している。その規模は人口2万人の約7倍、年間約14万人で、そのうち90%が中国人観光客だとみられている。だから、パラオに“中国人の洪水”が起こっている。
中国人観光の怪
筆者も一昨年1月にパラオを訪ねたが、宿泊ホテルの90%ほどがまさに中国人観光客であった。その時、中国人観光客一家(4人)の父親と会話したが、それによると、一家はハルピンなど中国東北部の寒冷地域から来たので、南国のパラオは天国だと語っていた。ところが、よくよく話を聞いてみると、一家は地方政府発給の無料の観光券でパラオ旅行を楽しんでいると語っていた。
これはどういう政策意図によるものか判然としないが、中国の航空機に乗せられて、送り込まれる中国人観光客にはそれなりの政策意図が臭ってくる。あまりにも段取りが良いので、そう感じざるを得ない。まず、大量の観光客の送り込みに伴って、受け皿のホテル投資が始まる。あるいは地元ホテルの超高値の買収が始まる。地元のパラオ人は「今まで見たこともない札束が積まれた」と語る。狂気の沙汰とも言えるバブル的投資で、パラオ人の正常感覚が狂い、まず、政治家、役人はじめ地主などは中国マネーに呑み込まれ、国を危うくする状況にあるのではないかと懸念する。
さらに、困ったことに、新しいホテルが建つたびに強烈なスコール(にわか雨)で赤い工事土砂が海へ流入し、“海のゆりかご”と言われるマングローブ群や貴重な観光資源でもあるサンゴ礁群に大きなダメージを与えている。環境との調和を無視した資本まかせの観光開発(ホテル、リゾート開発)に対して地元の政府が弱腰ならば、日米が国際的圧力をかけてでも阻止しないと、パラオの将来はない。パラオ政府は国の基本政策として、第1に環境、第2に観光、第3に漁業を挙げているが、第2のプライオリティー「観光」が第1のプライオリティー「環境」を破壊しているのである。
パラオで最初に観光ホテルを建てた東急の故五島慶太氏は、ホテルの高さをヤシの木よりも高くしてはならないと主張して、パラオらしい自然との調和を図ろうとした。このホテルは今も健在だが、私たちはこういう日本人を誇りに思うべきである。中国資本は何十億円規模のゴルフ場付きのリゾート開発のために、すでにパラオ政府にその開発許可を迫っていると聞く。とんでもない話である。
自由で開かれた戦略とは
日本は初めにサンゴ礁保全研究センターを開設した。次いで観光客に人気の高い南方特有のシャコ貝が中国人など観光客の殺到で絶滅寸前になると、養殖協力を始めた。漁業でも沖縄での国際協力機構(JICA)研修にパラオの青年たちを呼んで、たとえば漁業協同組合のマネジメントなどを伝授し、また、そうした現地研修も実施している。
一方、民間では日本財団が長い間、きめ細かく協力している。去る2月中旬頃、パラオの広い排他的経済水域(EEZ)を守るために、パラオ政府に中型の巡視船を贈与したが、これには人材育成も含まれている。日本財団はこれまでにペリリュー島(日本軍玉砕の地)~コロール島間の連絡船なども供与するなど、多くの協力の足跡を残し、日本政府以上の信用を築き上げている。
日本は1997年から3年毎に1回の割合で「太平洋・島サミット」を開催して連携を維持してきた。今年も5月に福島県いわき市で「太平洋・島サミット」が開かれる。日本はこれまで太平洋の平和と安定に寄与する域内連携を訴えながら、国連外交の場において貴重な一票を確保すべく関係強化を目指してきたが、今やそういう政策領域を超えて、安倍首相の言う「自由で開かれたインド太平洋戦略」に沿って太平洋全域の「自由で開かれた安全保障戦略」を考えなければならない時代に突入していると言える。
雑誌『外交』(1~2月号)に田中明彦氏(政策研究大学院大学学長、前JICA理事長)は「『自由で開かれたインド太平洋戦略』の射程」というタイトルで投稿している。それによると、「自由で開かれたインド太平洋戦略が“戦略”であろうとすれば、いかなる政策手段で目標を実現しようとしているのかを明らかにしなければならない」とし、「日本外交が自由主義的世界秩序を維持させるための戦略を目指すならば、日本政府として体系的な全体像を示した戦略文書を早期に公表することが望ましい」と述べている。
太平洋・島サミット開催は迫っている。今や日本政府にとって南太平洋を含む太平洋の自由で開かれた秩序づくりは、日本にとって「経済協力インフラ輸出戦略」をしのぐ、より重要な戦略的課題であることを深く認識してほしい。
※国際開発ジャーナル201年4月号掲載
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