アジア通貨危機の遺産
今、日本のタイド・エイド(ヒモ付き援助)である円借款の「本邦技術活用条件」(STEP)の在り方が、問われている。
STEPとは、SPECIALTERMS for ECONOMIC PARTNERSHIPの頭文字をとった略称だ。「経済的パートナーのための特別措置」を意味しており、1997年のアジア通貨危機における日本政府の対策の一つとして打ち出された。実際は、優れた日本の技術の活用を条件にした円借款協力を意味している。
ところが最近、STEP適用案件への日本企業の入札不調が続いている。このままではこの制度の健全な運用が難しくなるとの声が高まっており、STEPは「大改革かそれとも廃止か」の分岐点に立たされているようだ。
STEPの歴史は、アジア通貨危機が起きた際、日本政府がアジア諸国の経済構造改革を支援するためにSTEPの前身となるいわゆる「特別円借款」を実施したことに始まる。
1998年12月16日の政府発表によると、(1)1999年から3年間で6,000億円(金利1%)、(2)総事業費の85%まで融資対象にする、(3)調達条件は原則として主契約は日本タイド、(4)原産地ルールでは円借款融資額の50%未満は日本以外を原産とする資機材・サービスの調達を認める(現在は30%が日本原産)、(5)対象国は通貨危機の影響を受けているアジア諸国であること、(6)対象分野は①よき流動率化を目指して道路、港湾空港、橋梁、鉄道分野、②生産基盤の強化として発電、灌漑、天然ガス、パイプライン、上水道、③大規模災害対策など。
これまでヒモ付き援助を強く要望してきたわが国経済界にとっては待望の制度だった。ところが最近は、経済界に何か異変が起こったのか、STEP適用案件の入札企業は激減しており、一社入札が目立ち始め、入札の競争条件が崩壊しつつある。このままでは公正な入札条件が失われるのではないかと将来が危惧される。
利益に固執する企業
円借款対象国は、STEPと言えば、日本の優れた技術やノウハウがインフラ建設に投入されると考えているはずである。しかも入札競争で選び抜かれた一流の技術が投入されるだろうと期待している。だから、ヒモ付きの援助であってもSTEPを容認しているのだと思う。ところが、一社入札が増えると、技術的競争条件は弱まる。落札価格にも競争原理が働かなくなるので、借り手にとっては“高くつく円借款”というイメージが深まり、ひいてはわが国ODA全体への評価を悪くする恐れもある。
そうした状況であるにも関わらず、最近の日本企業は一社入札のせいなのか、あるいは海外事業を過度に警戒してそのリスクを事前に防ごうとしているのか、一言で言うと「ボロ儲けできるならば応札してもよい」という態度が目立つようになったと聞く。関係者によれば、定められたコストの中の本社経費8%を、安全対策への経費も含めて14%にまで引き上げる企業も現れる始末だ。ちなみに、政府の定める公共事業などでの一般管理費は、2018年12月現在で7.4%である。こうした「ボロ儲けしよう」という意識は、下請けのサブコントラクターにも波及しており、かなり信用のある韓国や中国の企業がコンクリートの単価を相場の倍ぐらいに膨らませてくることもあると言う。
「日本原産30%」にも限界
ただ、企業の意識だけでなく、STEPは「日本原産を30%確保する」という条件自体が、限界に達しているようである。たとえば、現在進行中のエジプト・カイロの地下鉄事業を見ると、STEPが始まった20年前に比べるとその輸送コストは一気に跳ね上がっており、受注企業の採算を悪化させている。今やSTEPの実施範囲が東南アジアの近場だけでなく西アジアや中東へと拡大しており、最近ではインドやトルコもSTEPを要請する可能性が出てきている。実施地域が広がり、遠方になればなるほど、輸送コストを一つとってみても、日本原産にこだわれない可能性が強まろう。
次に、日本の供給力についても考えてみたい。最近、長い歳月を要したインドネシアの首都ジャカルタの地下鉄が開通した。エジプトでも地下鉄工事が進行中だ。ミャンマーではヤンゴン~マンダレー間の鉄道工事が始まっている。インドでは総事業費1兆円超えの新幹線事業が進行中だ。さらに、フィリピンでもマニラ首都圏にリンクする南北通勤鉄道(約38キロ)計画が始まる。この計画では総事業費約2,880億円のうち、約2,420億円が円借款供与となる。今や日本のインフラ受注はまさに鉄道案件づくしである。
しかし、そこには大きな問題がある。日本の鉄道車両供給能力の限界が懸念されているからだ。海外での鉄道車両の受注は現在、円借款だけを見ても500両ほどが見込まれている。加えて、民間事業では約1,000両になる可能性が高いと言う。一方、日本の鉄道車両の供給能力は年間約2,000両で、うち100~200両ぐらいしか海外輸出に振り向けられないと言う。これでは海外の受注に対応するのは難しい。
JICAによると、STEP適用の案件が鉄道分野に集中したために、車両供給能力が追いつかなくなっていると言うが、鉄道建設を請負う企業の数も減っていると言う。ミャンマーのヤンゴン~マンダレー間の鉄道建設の入札では一社入札となり、無競争で落札した。こうした中、商社は韓国企業などと組んでSTEPの30%の国産枠をこなしていると言う。このように、今では30%の枠をいつでもメイド・イン・ジャパンでカバーすることが難しくなっている。
建設界は東日本大震災の復興事業や東京オリンピック・パラリンピック需要で継続的な受注が続いており、海外需要にまで応じられない状況である。しかも、その状況は2025年以降まで続く可能性がある。こうした状況下でSTEPは機能不全に陥る恐れが見込まれる。多くの関係者からは「制度はもう限界にきている」「廃止するか、大改革するかだ」という声が聞こえてくる。
※国際開発ジャーナル2019年6月号掲載
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