3年間で6兆6,000億円
横浜で来年、「第7回アフリカ開発会議」(TICAD7)が開かれる。ただ、頭痛の種は厳しい財政難の中、財力にモノを言わせた援助計画を打ち出すことが難しいことだ。知力、構想力が期待されている。
そのような時に、中国は9月3日、アフリカ53カ国(1カ国だけ欠席)の首脳たちを北京に招き、人民大会堂で「中国アフリカ協力フォーラム」を開催し、「一帯一路」戦略の一環として今後3年間をめどに600億ドル(約6兆6,000億円)の協力を宣言した。私たちは、資金の種類は別にして、アフリカ大陸への中国の並々ならぬ国家戦略を知らされることになった。
こうした状況は、日本の1990年代後半から2000年代初めのバブル経済時代に見せた“日の出ずる国”日本を想い出させるものである。あの頃は援助倍増、3倍増が景気よく打ち出され、まさに第1位の援助国として世界に君臨していた。ただ、あの時の日本は資金を世界中にバラ撒いて、世界からの日本批判を回避することが、「世界の中の日本」として必要な政策だったのかもしれなかった。中国は一見して、TICADなどの日本の対アフリカ援助を模倣しているように見えるが、それは形式的な模倣であって、その中味は日本とまったく異なるものと言える。
中国の真の狙いは、「一帯一路」政策に基づくインフラ建設への投融資と援助をミックスした複合型協力で貢献しながら、しっかり稼ぐだけではない。去る8月下旬に北京での一帯一路5周年記念会合で習近平国家主席が述べた以下の発言に、中国の長期的本音が隠されているように思える。
「一帯一路は経済協力(インフラ建設)だけでなく、世界の発展モデルや統治システムを改善する大切な手立てになる」
中国は目下、米国と激しい貿易戦争を展開しているが、これも習近平国家主席の世界戦略によるものとみられている。
1960年代の「南北問題」時代、国連貿易開発会議(UNCTAD)でプレビッシュ博士を中心に「援助より貿易を」が唱えられた。多くの開発途上国は貿易の拡大を目指して、有利な貿易システムの改革を先進国に求めた。常にその先頭に立っていたのが、今で言う中進国グループ(中国を筆頭にインド、ブラジル、アルゼンチン、トルコ、サウジアラビア、南アフリカ、インドネシアなど)だ。今でも中国は大躍進を遂げている中進国のリーダー格である。
中国の本音が聞こえる
米国に対等な戦いを挑む中国は、米国との貿易戦争において、まさに多くの中進国の代表として、トランプ政権に挑んでいる感じだ。その背景には多国間貿易の新しい世界システム、新しい秩序構築が隠されているかもしれない。その中で、世界の貿易システムを支える米ドル基軸体制に「元」が挑戦することも、中国の長期戦略に入っているかもしれない。
しかも、中国にとって現在の米国(トランプ政権)は、その言動から一国主義に陥り、国際警察国家から後退し、世界のリーダー国家としての役割を放棄しているように映っている。その状況下で、中国は米国と対等の立場で戦いを挑んでいるようにも見える。
北京にアフリカ53カ国の首脳を招いた「中国アフリカ協力フォーラム」は、日本のTICADのようにアフリカの発展を願う開発協力会議ではない。
中国は、国連におけるアフリカ54カ国の票を狙うだけではなく、インフラ整備を契機に、国家体制にまで踏み込んで、中国の影響力を敷設しようと考えているかもしれない。つまり、アフリカの全54カ国を中国の描く新しい世界秩序づくりに組み込む大切な敷設作業と考えている。
さて、日本は、中国のようにカネのかけられないアフリカ援助はどうあるべきかを考えなければならない。日本は20数年前、アジア中心の援助方針を大きく見直し、アフリカ援助へカジを切った。当時の日本には、まだ十分な経済力があったので、毎年一定の援助予算は確保できた。
東南アジアへの日本の経済協力が「東アジアの奇跡」(世銀報告)ではないが大きな成果を上げたという自負心から、日本はアジアの経験をアフリカに生かすべく挑戦した。しかし、日本は「ないないづくし」のアフリカに挑戦したものの、アフリカでは国造りにとって一番大切な「民族の統一」が進んでおらず、「部族の対立」が開発の行く手をさえぎった。
アフリカの新しい国家は、部族の統合に失敗し、東南アジアのような部族を超えた経済開発のための「開発政府」は存在していない。議会制民主主義を欧米流に唱えても、選挙で最大部族が政権を握り、公平な国家運営を阻害していることが多い。欧米の誇る議会制民主主義が正常に機能していない。
アジアの経験をアフリカへ
それでも、部族長政権を相手に国造り協力をしなければならない。たとえば、インドネシアのスハルト開発独裁政権が1970年に樹立された時は、欧米日の援助国は「治安」の維持、政府の官僚(テクノクラート)の養成を支援した。「治安」は軍事政権ゆえに問題ないが、「経済政策官僚」の養成は難問であった。米国のハーバード大学などがその養成に尽力したことは有名な話である。若手官僚たちはインドネシアの国家開発計画を自ら立案するまでに成長した。
インドネシアでは欧米日の経済・技術協力がしっかりした国家計画に基づいて実施され、国家機構の近代化を前進させた。
そして、経済の発展とともに教育が普及し、多くの民衆が国の民主化を前進させた。ここで大切なことは、インドネシア経済の発展を促したものが、特に日本など民間企業の進出であり、それによって多くの国民の所得の向上が図られ、一定の利益分配が社会全体にゆきわたった点だ。企業進出を可能にする経済、社会インフラは日本、そして世銀、アジア開発銀行などの経済援助で整備された。
アフリカ援助に関しては、経済インフラ部門は主に中国の役割が大きいとして、日本としては社会インフラを重点に、民間企業の進出に備えての法整備、制度設計をはじめ、国家運営に必要な官僚人材の養成などに重点を置く協力を目指すべきではなかろうか。
「開発協力大綱」ではないが、より具体的に経団連、経済同友会、日本商工会議所などと連携して、アフリカへの民間経済協力のあり方をもう一度総点検してから、来年の横浜でのTICADに対処すべきだと考える。
※国際開発ジャーナル2018年11月号掲載
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