ウクライナと日本の国際協力 「市場経済化支援」の中で|羅針盤 主幹 荒木光弥

「日本センター」の設立

2月24日頃から、ロシアのウクライナ侵攻が本格化し、毎日のように首都キーウ(キエフ)の痛ましいニュースが次々と伝えられている。戦争は避けられなかったのか。ロシアの戦争行為は絶対に許されるものではないが、最終的には罪のない一般市民を犠牲にしたという意味で、ロシア政府は言うまでもなく、ウクライナ政府も含めて双方の国家指導者の責任は実に重い。

ウクライナとは、過去にわが国の政府開発援助(ODA)で関わりのあったことを想い出す。あの時のキエフ工科大学の先生や生徒たちは、今頃どうしているのだろうか。悲劇的な事態の進展とともに、彼らへの懸念は日々深まるばかりである。

日本は1991年頃のソ連邦崩壊後、2002~2003年あたりから旧社会主義諸国の市場経済化をODAベースで支援することになった。その対象国は東南アジアのベトナム、カンボジア、ラオスに加え、モンゴル、カザフスタン、ウズベキスタン、キルギス、ウクライナなどの中央アジア、東欧にも及んだ。これらの国々では当時、市場経済と言えば「町の市場の経済」ぐらいにしか考えておらず、本格的なマーケット論を伝授するのに当初は手こずった。ところが、そのうちマーケットの意味を理解するようになると、例えばモンゴル(ウランバートル)のパン屋は「食パン」だけの計画的な商いから、「菓子パン」作りに乗り出して、徐々にパン作りの付加価値を広げていった。つまり、新しいパン市場を創出したのである。

こうした市場経済という考え方を伝授するため、日本政府は2002年頃から無償資金協力ベースで上記の各国に市場経済化支援のための現地拠点として、国際協力機構(JICA)による「日本センター」を開設した。

当時、筆者は日本センター事業支援委員会の委員長として、各国の日本センターを訪問した。それらは、ベトナム(ハノイ、ホーチミン)から始まり、カンボジア、ラオス、モンゴル、ウズベキスタン、キルギス、カザフスタン、ウクライナに及んだ。

例えば、ベトナムでは市場経済論から自由貿易、経営の実践ノウハウまで含めた幅広い研修コースを設けた。そして、ベトナムに進出した日本企業関係者の経験談もコースに盛り込まれた。

一方、中央アジアのウズベキスタン、カザフスタンでは株式会社経営論から自由貿易論まで、幅広い実践的な講義に若い受講生たちは目を輝かせていた。現実は、長い社会主義体制の中で偏った縁故主義がはびこり、新進気鋭の若者たちの出番が失われており、彼らは外国との交流、交易で新しい世界へ飛び出そうとしていた。

自由世界への開眼か

これら日本センターのうち、ウクライナでは2006年5月から5年間、つまり、2011年までキエフ工科大学を拠点に市場経済化に関する経営講座を開設し、新たなビジネス感覚を広めていった。今思うと、こうしたことがウクライナ人の自由世界への開眼を加速させたのではないだろうか。

ウズベキスタン、カザフスタン、キルギスは中央アジアに分類されるが、ウクライナは東欧に分類されるだろう。つまり、ウクライナ人はカザフスタン、ウズベキスタンなどの中央アジア人とはまったく異なる文化的ルーツ、どちらかと言うとヨーロッパにも近い文化的ルーツを持っているように感じる。

ところで、中央アジアを旅してみると、本来の民族的遺産は言うまでもなく、ソ連邦時代に築かれた多くの産業技術的な遺産も目に付く。例えば、広大なカザフスタン平原は、今では宇宙ステーション基地として知られているが、かつては核実験場でもあった。他方、研究・技術力の面では機械工業、なかでも飛行機(ジェット)エンジンの研究開発などでも知られる存在のようである。

他方、ウクライナは植物業、原子力開発研究などでも知られる存在だと言う。おそらく、ソ連邦時代は各国で色々な技術開発を分散的に行い、それをモスクワが集中管理するというシステムがとられていたのではなかろうか。だから、ロシアのウクライナへの執着心は、黒海など地政学的な関心のみならず、原子力研究といった頭脳的な蓄積などにも向けられているのではかなろうか。

それでは、次に、もう少し紛争の根幹を追ってみよう。

ヨーロッパとの谷間で

ロシアのウクライナへの執着心は、安全保障という面では、(1)首都モスクワに最も近い国であること、(2)外海への出口となる黒海という戦略的要衝を抱えていること、(3)地政学的に見て、良きにつけ悪しきにつけロシアとヨーロッパとの緩衝地帯に存在すること。別な見方ではロシアにとって、ヨーロッパに対する最大の安全保障地帯であること、(4)ロシアの胃袋を満たす穀倉地帯であることなどが考えられる。

これをヨーロッパから見ると、ウクライナを味方に引き入れることができたら、ロシアに対して戦略的に絶対的な優位に立つことができる。そうした中で、ウクライナのヴォロディミル・ゼレンスキー大統領は、北大西洋条約機構(NATO)、欧州連合(EU)に猛烈に傾斜している。その姿を見ていると、ヨーロッパによる勧誘が成功していることが明白である。

ただ、ゼレンスキー大統領が明けても暮れてもNATO加盟を叫ぶごとに、今度はヨーロッパが事の重大さを考えて、最近ではブレーキをかけ始め、ゼレンスキー大統領のNATO加盟を叫ぶ音量が小さくなっているように聞こえる。つまり、ヨーロッパ側には、それが今回のロシア侵攻の引き金になった、という論調を極力排除しようという意図が見て取れる。この筋書きで考えると、ロシアがヨーロッパによるロシア潰しにまんまと引っ掛かったと言えないこともない。ヨーロッパ人の巧妙さは歴史的にも知られているからだ。

そう考えると、ウクライナが安全に生きる道を探ることは難しいかもしれないが、NATOにも傾斜しない、一方でロシアにも傾斜しない完全中立の道しか残されていないのではなかろうか。

2003年、ウクライナのキエフ工科大学内の日本センターで筆者が講演をした時、参加者から東南アジア諸国連合(ASEAN)に関する質問が多かったことを想い出す。それは、今思うと、大国の谷間にあって、小国がどう生きていくかに悩み、その将来を考えていたのではないだろうか。

ヨーロッパとロシアは互いに思想、そして領土的な陣取り合戦を繰り返すだけでなく、ヨーロッパとロシアとの谷間で生きなければならないウクライナなど、弱小国の中立化を担保するような国際的な枠組みづくりを考えてもらいたい。

※国際開発ジャーナル2022年5月号掲載

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