「ODAの歴史考察」 中国に壊された伝統的援助の世界|羅針盤 主幹 荒木光弥

欧米にバッシングされた日本

「ODAの歴史考察」。これは、筆者が塾頭を務める「ARAKI-JUKU」で取り上げたテーマである。

日本は、戦後間もない1954年頃から太平洋戦争の賠償援助を東南アジアへ向けて開始する。援助の原点がここにあった。その経験は、1960年代から本格化する日本外交の手段としての円借款協力や技術協力に生かされる。しかし、その経験はたぶんに輸出の手段としての円借款協力に引き継がれ、賠償援助の時と同じように、多くの商社マンに“円クレ”(円クレジット)として親しまれ、賠償時と同じように輸出振興の手段として重宝がられていた。

しかし、日本経済が復興から成長へ移行し、貿易振興によって外貨保有高が世界一になるにつれて、輸出の手段として利用されてきた円借款も、欧米の厳しい圧力にあってアンタイド化(日本のヒモの付かない援助)を強要されるようになる。なにしろ欧米は円借款と抱き合わせの日本の輸出振興に輸出競争力を奪われ、国際貿易において日本は大きな脅威になっていた。言うなれば、先進国同士の内輪争いのようなものである。

その日本いじめの欧米代理人は、パリに本部を置くご存知の経済協力開発機構(OECD)の下部機構・開発援助委員会(DAC)であり、貿易委員会である。日本の円借款協力はOECDの開発援助委員会と貿易委員会をタライ廻しにされて骨抜きにされ、一時は100%に近い完全アンタイド化を達成したことがあった。ヨーロッパの場合は、英仏独にしても援助は原則無償であるが、タイドである。だから、有償中心の日本への風当たりが激しかった。彼らは円借款協力にアンタイドという条件を突き付けて、ODAへのカウントを認めたのである。

先進国援助を破壊した中国

ところが、時代は移り、開発途上国援助の世界に新進気鋭の中国が自ら発展途上国と名乗って登場し、途上国が途上国を援助するという形で巨額の特恵的融資を含む援助資金をばら撒き始める。たとえば、国家開発銀行の外貨融資規模は、第12次5カ年計画期間中(2011~15年)には5,000億ドル(42兆5,000億円)計画を実施したとみられている。

先のDACは、中国を新しい援助国として、先進国クラブとも言われるDACメンバーに参加するように勧誘するものの、「私は発展途上国です。ですから先進国クラブには入りません」と参加を拒否される。これは、「援助された開発途上国が卒業して先進国になり、その彼らがDACに加盟して、開発途上国援助の輪を世界的に広げていく」という援助卒業論が一気に瓦解したことになる。これで、欧米の描いた援助サイクル説が崩壊したことになる。

中国を説得できなかったOECD・DACの落胆は大きく、そのうちに中国発案のアジアインフラ投資銀行(AIIB)にDACの足元の欧州連合(EU)の中心メンバーがこぞって加盟するに至り、DACは万事休すの状態になって、これまでの規範が音を立てて崩れ始める。

もう援助タイドを批判し、規制する余裕も自信もなくなった、と言っても過言ではない。AIIBに加盟しなかった主要国は日本と米国だけで、これにはAIIBの役割が日米共同で創設したアジア開発銀行(ADB)の役割と重複するところもあるからだと見られているが、その深層には、中国の未来へ向けての国家戦略が見え隠れしていて、それへの警戒心も働いているのではないかと考えられている。

ODAを取り巻く国際環境は、中国の参入で、見えない形で政治化し、特にアジアにおいては戦後日米が築いてきた政治・経済秩序が崩れ始めている。第二次世界大戦後、アジアの支配者大英帝国が、米国にバトンタッチした時とよく似た現象が見え始めているからだ。東シナ海や南シナ海における島々の強引な領土化も、米国のアジアにおける力の空白を見抜いての作戦であり、パックス・アメリカーナの退潮を見抜いた中国の次世代戦略だと見られている。

考えてみれば、ADBはかつて中国共産党勢力の東南アジアへの南下浸透を防ぐための資本主義の砦として築かれたもので、資本主義にもとづく経済圏をアジアに築く大きな役割を担っていた。今では一部、資本主義機能を採り入れている中国も加盟して、それなりにADBの恩恵を受けられるようになっている。しかし、中国はアジア太平洋において国益を拡大し、独自の政治圏や経済圏を築くためにも、かつての中国包囲網を強大な経済力で確実に崩し始めている。その好例が東南アジア諸国連合(ASEAN)10カ国の団結を弱めるべく、親中国の加盟国を増やしつつあることだ。ASEANは経済的にも中国の影響を強く受けているので、ある程度の中国への傾斜は避けられないのが現実である。

自国第一主義的ODA

世界戦略として考えると、中国は一方で、貧しい開発途上国のひしめくアフリカ大陸との政治・経済的連携を強化し、さらに、G20首脳会議の中の南アフリカ、ブラジル、サウジアラビア、トルコ、インドネシア、アルゼンチンなど新興国との連携を強めながら、欧米の対局に立って発言権を強化しようとしている。なかでもヨーロッパでは、経済的に中国の権益が増大し、「一帯一路」戦略でも中国との距離を経済的に縮めつつある。

戦後、世界を主導してきた米国による「ワシントン・コンセンサス」に対して、中国による「北京コンセンサス」が話題になったことがあったが、中国の新しい道は、ロシアも引き込んで未来へ向けて間違いなく前進しているように見受けられる。その意味で、貿易の世界も援助の世界も極めて世界戦略的意味を持っていると言えよう。

トランプ米大統領の「米国第一主義」は、世界中に中国戦略の入り込む多くのすき間をつくっているようなもので、ある意味で、世界再編への傾斜を速めているようにも見受けられる。このようにODAも中国のように国家戦略として活用され始めると、国連主導の国連開発計画などは形骸化し、新しい国際的援助環境をつくれるものではなくなってくると言える。そう見てくると、ODAは各国独自の政策で形成されるようになる。日本も将来に向けて独自の国家政策にもとづくODAをどう構築していくか。ODAを政治的な側面に沿って考えてみると、まったく新しい時代に突入していると言える。

※国際開発ジャーナル2017年9月号掲載

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