借款援助大国フランス
2023年1月の経済協力開発機構(OECD)データベースの外務省資料の開発援助委員会(DAC)諸国の開発援助手法別実績によると、世界の援助国序列は次の通りである。
1位米国(483億ドル)、2位ドイツ(362億ドル)、3位日本(220億ドル)、4位フランス(194億ドル)、5位英国(165億ドル)、6位イタリア(66億ドル)、7位カナダ(64億ドル)、8位スウェーデン(60億ドル)、9位オランダ(53億ドル)、10位ノルウェー(47億ドル)。
次に、援助の性質を比べてみると、無償の協力の割合は、米国が80%、次いでノルウェー73%、オランダ62%、カナダ・スウェーデン58%、英国50%、イタリア34%、フランス22%、日本は18%で最下位だ。一方で、借款ベース援助の割合を比べてみると、日本は55%で世界のトップを占め、次がフランスの35%だ。次いでドイツ14%、カナダ10%、イタリア5%、英国とスウェーデン2%という序列になっている。皮肉な言い方かもしれないが、借款ベースの支援で日本とフランスは突出しており、“借款援助大国”としての知名度を高めている。
ただ、日本とフランスとでは援助の中身が違うという意見もあるので、今回は日本でよく知られていないフランスの援助実態に焦点を当てることにした。
ちなみに、日本の独善的かもしれない言い分では、借款援助は「借りたものは必ず返す」という自助努力の精神を育てる効用があり、結果として援助効果を高めることになると強調する。日本では明治維新からの伝統なのか、“自助努力の精神”が開発援助の背骨になっている。
一方、フランスは伝統的に“文化”を尊重している国として、フランス語の普及とフランス文化への理解を深める対外協力に力を入れている。
多くの属領も援助対象か
それでは、フランスの対外援助とはどういうものなのか。初めに驚かされたことは、援助対象の多くがフランス海外県や仏領に集中していることである。これらをフランスでは援助対象国に組み入れている。世界はこれを援助として認めているのかどうか定かではない。ところが、日本のタイド(ひも付き)援助が問題にされた時に、OECDのDACでフランスの援助が問題になったという話は聞いたことがない。不可解な話である。
例えば、インド洋のマダガスカル島近くの仏領フランス海外県レウニオン、カリブ海に面したラテンアメリカのマルチュータ(仏領)、南太平洋のポリネシア(仏領)、ニューカレドニア(仏領)、グアドループ(仏領)、ギアナ(仏領)などもフランスの対外援助に組み込まれている可能性が強いという。フランスの援助で広く知られる援助対象国は、モロッコ、セネガル、コートジボアール、マダガスカルなどアフリカ諸国である。どの国も奥深くフランスの経済利権が浸透している国々である。また、多くのフランス海外県や仏領には、伝統的なフランス文化、それにフランス語の普及のみならず、パリに負けないくらいのフランス料理などが浸透し、パリっ子の高級避暑地として重宝がられている。そして、同時に国際的な観光地としてフランスの外貨稼ぎの担い手にもなっている。
そのために、島々への道路、港湾などインフラ整備にも多くの開発資金が投入されているようだが、これらインフラ整備投資もフランスの対外援助にカウントされているのではないかと、疑いの目で見る人々もいる。
一方、フランスと好対象の英国の場合、英領ジブラルタル、セントヘレナ、フォークランド諸島などは表向き援助対象とせず、世界最大の旧宗主国らしく、インドをはじめバングラデシュ、マレーシア、ケニア、ザンビア、スーダン、パキスタン、ガーナ、タンザニア、マラウィなどを主な援助対象国とし、英国の過去のいろいろな権益が守られている。
似た者同士の日仏か
話は変わって、フランスの首都パリには、先進国の援助総本山とも言うべきOECDにDACが置かれて、先進国の途上国援助をリードし、その在り方を議論してきた。
かつて、日本は1970年代に「ヒモ付き援助」とか、「輸出振興型援助とか、厳しく批判される時代があった。当時、OECD通商会議でも「ヒモ付き貿易」「ヒモ付き輸出」と日本の円借款協力が厳しく批判され、会議に出席した当時の通産省官僚は疲労困憊していた。
当時、新参者の日本は欧米諸国によるタイド援助批判にひたすら耐え抜いていた。そういう過去を思い出しながら、フランスの援助を深堀りしてみると、どう見ても、フランスが日本の援助(ODA)をヒモ付き援助だと批判する立場にあるとは言い難い。また、英国にしても植民地時代の延長線上で旧英連邦諸国を援助しているのではないか。
戦後、日本は賠償援助から本格的な経済協力を通して、東南アジア諸国連合(ASEAN)の発展に大きく寄与してきた。ある意味で、フランスや英国の旧植民地であった東南アジア諸国を、成長路線に乗せたのは日本だと言っても過言ではない。日本は東南アジアの基礎インフラの整備を援助した。それは、日本企業の東南アジアへの経済進出を手助けしたことになるが、多くの経済協力を通して新しい国家のインフラなどの基盤づくりに、日本が寄与したことは明白な事実だ。そうした中で、東南アジアの旧宗主国への植民地的感情は消えていったと言える。
フランスはベトナム戦争をはさんで、東南アジアの過去の一種の経済的権益をすべて失ったと言っても過言ではない。頼りになるのは、先に述べた海外県や多くの仏領だけだと言えよう。
以上、フランスの対外援助をあれやこれやと見てきたが、そこにはフランスの海外領土とも言うべき国々への援助を通して、いわゆるフランス流の援助スタイルを学習することができた。世界は、まさに多士済済である。
※国際開発ジャーナル2023年5月号掲載
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