米国のドミノ理論
去る2月13日、アジア開発銀行(ADB)が2018年11月に出版した『アジアはいかに発展したか―アジア開発銀行がともに歩んだ50年』(勁草書房)の出版記念トーク・セッションが、東京のアジア開発銀行研究所(ADBI)で開催され、約120人が参席した。ADBの中尾武彦総裁、一橋大学国際・公共政策大学院の浅沼信爾客員教授、東京理科大学工学部の大庭三枝教授がパネリストとして登壇し、朝日新聞の吉岡桂子編集委員が司会を務めた。
トーク・セッションでは中国の「一帯一路」戦略やアジアインフラ投資銀行(AIIB)なども議論されたが、最大の論点は書籍のタイトルにもある通り、「アジアはいかにして発展したか」だ。筆者は大庭教授が述べた「戦後アジアの冷戦構造がアジアの発展を促進させた」と同じ考えに立っている。周知のように、アジアの冷戦構造はソ連や中国など共産主義圏と、米国と欧州、日本など民主主義圏とのアジアにおけるヘゲモニー競争(勢力争い)から生まれた。それは朝鮮戦争から始まり、ベトナム、カンボジア、ラオスなどインドシナ半島に拡大した。
米国は、大陸から押し寄せる共産勢力が南下してドミノ倒しのように東南アジアの国々が共産化していくという「ドミノ理論」の考えに立っていた。しかし、最後にはベトナム戦争で多大な犠牲を払い、退却を余儀なくされた。それを一言で述べるならば、米国は民族統一・独立への理解が不足していたと言われている。
東南アジア(ここではタイ、マレーシア、シンガポール、インドネシア、フィリピン、ブルネイの6カ国を指す)では、北からの共産勢力の南下を防ぐためにも、経済発展による国家の安定が急がれていた。
そうした中で、米国は日本に対して東南アジアへの経済協力(ODA)の拡充を強く要請した。それは、日米安全保障体制下における日本の役割でもあった。
開発独裁国家
例えば、インドネシアでは当時、100万人の党員を抱える共産党の台頭で、勢力衰退気味のスカルノ初代大統領は中国政府と東南アジアにおける枢軸化を進めようとするなど、米国にとっては危険極まりない状況にあった。だが、1965年9月30日、スハルトによる軍事クーデターが起こり、スカルノ政権崩壊へつながった。これは「9・30事件」と言われてインドネシアの戦後史に深く刻み込まれている。
スハルト軍事政権は後に「開発独裁」と言われたが、その体制は軍(治安)、テクノクラート(官僚による政策立案)、外資導入という三位一体化を目指したものであった。そして日・米・欧は、この三位一体化を条件にスハルト政権を援助した。なかでも経済援助の主役は日本であった。米国は軍人、官僚の育成に力を入れた。こうした援助を受けてスハルトの長期・独裁政権は続いた。しかし、経済発展に伴い教育水準も徐々に高まり、民主化を求める声が大きくなり、政権交代が実現して今日に至っている。
インドネシアと同じような国造り成功物語は、フィリピンのマルコス政権、シンガポールのリー・クアンユー政権、マレーシアのマハティール政権、ある意味では王制国家タイの軍事政権もその範疇に入るかもしれない。後発ASEANのベトナム、ラオス、カンボジア、ミャンマーなどを見ても、形態や内容は少しずつ違っていてもなんらかの形で独裁的か、それに近い政治体制を敷いている。とにかく短期間で国家の近代化を進めるには、国家を統一できる政治的、軍事的パワーが求められる。それが独裁であろうと、国民国家の形成にとってはまず強力な統治力が必要なのだ。その意味で、アジアの冷戦構造は民族国家、国民国家づくりに歴史的役割を果たしたとも言える。
ところが、それは対極にあった中国にも当てはまる。共産党による一党独裁体制の下で治安を守り、経済だけを外国に開放して国造りを成功させている。
次の世紀のアジアへ
1960年代に戻ると、ADBは当時の西側に属する東南アジア諸国の経済開発を支援した。米国は東南アジア諸国の共産化を防ぐ意味でも、東南アジアの経済発展を願った。その意味で米国は日本に応分の経済協力を求めていたので、日本のイニシアティブで進められるADBの創設には戦略的に賛同していたに違いない。
しかし、時代は半世紀を経て大きく変転した。かつて米国が敵国視していた中国は、自由経済圏の中で大きく台頭し、アジア経済のみならず、世界経済にも多大な影響力を与え始めている。「一帯一路」戦略、それを支える目的で創設されたAIIBには、欧州を含む多くの国が加盟した。これは、かつての米国主導の世界戦略に対して、返す刀のように世界開発構想「一帯一路」を打ち出したと言えるかもしれない。
ところが、その西側陣営にはADBも包含されていた。これから、ADBはAIIBとどう協調しながら、どう競争するのか。中国の世界戦略も絡んで、ADBの前途は決して晴ればかりではなく、不透明な中国の世界戦略に翻弄される恐れがないわけではない。
一方、日本の安倍晋三政権は「自由で開かれたインド太平洋」構想を打ち出しているが、これは中国の「一帯一路」構想・戦略に、静かに対抗したものと見られている。これには米国も反対しないだろう。なんとなくかつての西側陣営の臭いも漂っている。そういう環境の中で、ADBがどういう行動をとるのか、総裁が日本人であるがゆえに、日米の谷間の中で完全な政治分離が可能なのか、難しい判断に直面することも多いことだろう。
冷戦時代は終わっている。しかし、新たに世界をリードする世界国家の役割は終わっていない。それを「一帯一路」を掲げた中国が果たすのか、それとも米国がその役割をこれまで通りに果たし続けるのか。
ADBのみならず、日本も次の世紀のアジアにおける役割、そして世界における役割をどう果たしていくことができるのか。今は次の世紀に向けての第一歩が始まっている、という認識が必要であろう。
※国際開発ジャーナル2019年4月号掲載
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