先進国の貧富の格差
謹賀新年。
今年は米国のトランプ現象を引きずりながらの年明けになった。日本にとってもかなり厳しい新年になりそうだ。それは日本が戦後、自由貿易を国是としてきた“グローバル化政策”に警鐘が鳴らされているからである。
トランプ米大統領の誕生は決して偶発的な出来事ではない。それは、世界中が憧れる豊かな国の大きな断層とも言える貧困者の反乱によるものであった。初めて米国の“貧富の格差”が露呈された。その多くの人たちは鉄鋼業をはじめとする製造業で働いていた人たちである。つまり、彼らは米国のグローバル化政策の下で、他国との産業の競争に負けた、いわば“負け組集団”であると言える。
米国はこれまで内に多くの貧困者を抱えながらも、自由世界を守る国際警察の役割を果たし、時に多くの戦争犠牲者を出しながらも、巨大な消費市場を多くの国々に提供してグローバル化政策を押し進めてきた。
他方、多くの発展途上の国々は、米国の議会制民主主義をモデルに国造りを進めている。米国がグローバル化政策の矛盾をどう解決することができるのか。BRICSを含む多くの開発途上諸国にとっても米国のこれからの新たな政策的対応が重要な意味をもっている。
周知のように、グローバリゼーションとはカネ、モノ、ヒト、情報の自由な国際的移動を意味している。今回の米国の場合はモノとヒトの自由な移動が争点になった。英国のEU離脱には主にヒトの移動によって英国人の既得権益が犯されるという、一種の恐怖観念が底流にあるようだ。
つまり、EU域内の優秀な商人たちが豊かな購買力を有する英国市場にナダレ込み、英国の既存の商人たちを駆逐するのではないかという恐怖感がEU離脱の引き金になったとも言われている。
また、ヒトの移動ではEUに断続的に流入する中東からの戦争難民、そしてアフリカなどからの経済難民への恐怖感もあるようだ。EU内に流入した難民は住み易い英国に向かう傾向がある。英国のEU離脱は国民国家の主権を守ろうとする度合いが強くなればなるほど、理想とするヨーロッパのグローバル化に待ったをかけ、新たな問題を提起しているのではなかろうか。
グローバル化への問題提起
元拓殖大学総長で経済学者の渡辺利夫氏は、グローバリゼーションの時代と国家主権について、こう述べている。
現代はグローバリゼーションの時代である。このことは否定されるべくもない。国民国家の障壁が薄くなり、世界経済や地域経済がますます強く統合されつつある。しかし、国民国家が世界の中に「融合」し、国家が超国家的統合体の中に「溶解」していくことの事実を、あたかも「進歩」の象徴であるかのようにイメージする知識人が日本に少なくない。
率直に言って、このイメージは錯誤である。グローバリゼーションとは、先進国企業の生産力が国内市場では収まり切れないほどに膨張し、この膨張した生産力に見合うよう自らの持てる経営資源を世界の適地に配分し、そうして多国籍企業へ転じたことの帰結に他ならない。情報通信技術の急速な発達と金融商品の国際化でこの体系を支持した。グローバリゼーションの先兵は、いよいよ国際金融となっていくに違いない。
しかし、1997年のアジア経済危機、その後のリーマン・ショックが明らかにしたように、東アジアが長年かけて築いてきた資産を無にしてしまうほどのネガティブなインパクトをもたらさずにはおかない。
以上が渡辺氏のグローバリゼーションに対する問題提起であるが、私たちに多くの示唆を与えていると思う。
大国の条件
他方、こうしたグローバリゼーションの恩恵を国力増強につなげる中国など新興国勢力の台頭を見逃すことはできない。
たとえば、国際通貨基金(IMF)統計による世界経済に占める名目GDP(国民総生産)シェアを見ると、日本は1992年に15.4%でG7中で3分の2を超える67.9%であったものが2015年には6%に激減している。
他方、同じ期間に中国は2%から13.4%へと7倍近く伸長している。日本は中国の半分以下である。これを中国などを含むBRICS全体で見ると、同じ期間に5.6%から22%へ拡大している。これには先進国の人口低迷と少子高齢化などが反映されているものと見られる。
次に、購買力平価ベースのGDPシェアを見ると、日本は1992年の8.1%が2015年には4.4%へほぼ半減し、その一方で中国は同時期に4.55%から16.3%へ約4倍増。インドは3.5%から6.8%へ約倍増。BRICS全体から見ると、17%から30.1%へ急伸し、今やG7に拮抗する購買力をもつようになっている。
なかでも中国の16.1%が米国を超えて世界一になったことが先進国グループにとって衝撃的かもしれない。しかし、これもグローバリゼーションの恩恵であり、政治体制が非民主でも、経済面ではグローバリゼーションの恩恵を最大限に享受しているのである。
モノを買う力(市場の力)は大国の条件の一つに挙げられるが、これはグローバリゼーション時代においてその真価を最大限に発揮するもので、時代とともに現在の新興国の人口大国である中国、インド、ブラジル、ある意味でインドネシアをはじめとする東南アジア諸国連合(ASEAN)グループも大国の条件を発揮するようになるかもしれない。
トランプ旋風の話が大国の条件にまで及んだが、未来への日本の生きる道を考えるならば、これまで国造りを援助(ODA)してきた新興諸国との絆を大切にする必要がある。
特に、ASEANはわが国援助の元祖である。彼らの国造り、人造りに大きく貢献した。これからはその絆をもっと大切にし、その強い絆の中で、日本の子々孫々が生きていくことを今の私たちが考え、行動しなければならない。
今回のように、内に多くの貧困者を抱える米国の現実を見るにつけ、これは日本にとって対岸の火事ではすまされない教訓だと言える。グローバリゼーションは時代の流れだとしても、国民国家としての日本のあり方を考える良き機会であるとも言える。
※国際開発ジャーナル2017年1月号掲載
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