怒りのターゲット
人類は見えない敵・新型コロナウイルスになすすべもなく翻弄されている。人類は宇宙へロケットを飛ばし、最悪のケースとして大量殺戮を可能にする原子爆弾を創り出す科学レベルに達しても、人類の同居人とも言うべき厄介者のウイルス研究を怠っていたために、地球的規模で人類自らの被害を拡大させることになった。
武漢から無策のまま世界へ流出したウイルスは、中国の海外旅行ブームなどの波に乗って、瞬時にして世界へ拡散した。その昔、14世紀に全ヨーロッパで猛威をふるった恐怖の腺ペスト(黒死病)は、はるばる中央アジアからペスト菌のついたノミのたかった毛皮がヨーロッパに運ばれて、当時のヨーロッパ全人口の4分の1が失われ、なかには死亡率70%という都市もあったと伝えられている。昔と現在とではウイルスの伝染速度が異なることは言うまでもない。
武漢発の新型コロナウイルスは、あっという間に日本、韓国、全ヨーロッパ、米国へと拡散した。これらの国々が世界の政治・経済を牽引しているだけに、その影響は甚大である。今後、医療体制の整備が遅れているアフリカ、アジア、中南米、島嶼国などに伝染すると、その被害はより大きくなると予想される。
なかでも米国はニューヨークに見られるように、先進国の中で最大の被害者(死者)を出している。とにかくドナルド・トランプ大統領の憤激は収まらない。怒りの最大の矛先は中国であるが、当面は中国寄りと見られる行動をとった世界保健機関(WHO)のテドロス・アダノム(エチオピア人)事務局長へ怒りの矛先を向け激しく非難している。
WHOは中国の意向に沿って、パンデミック(世界的大流行)の宣言を遅らせたために世界規模の感染拡大を引き起こしたとトランプ大統領は非難し、WHO予算全体の4分の1ほどに当たる拠出金(年間約4億ドル=約430億円)の支払い停止、そしてテドロス事務局長の更迭を求めている。WHOにとって、米国は最大の資金拠出国であるだけに、米国の出方によっては最大の経営的危機を迎えることになりかねない。
一方、中国は4月23日、火に油を注ぐように約32億円(3,000万ドル相当)をWHOに寄付することを明らかにした。これまでに2,000万ドルを寄付しているので、その総額は5,000万ドルに達する。このように米中はWHOをはさんだ新型コロナそっちのけの対立の火花を散らしている。米国の国内を見ると、中国への損害賠償を求める訴訟が起きるほど、対中感情が市民レベルでも高まっており、これまでと違う形で市民を巻き込んだ米中の関係悪化が懸念される。
存在が問われるWHO
トランプ米大統領によるWHO事務局長テドロス氏への更迭要求は、事務局長就任の時、WHOの最高意思決定機関である総会で選出されているので、恐らく更迭の時も総会の決議が必要になることを念頭に置かなければならないだろう。なにしろ、WHOには194カ国と地域が加盟しているので、そう簡単な話ではない。仮に総会で更迭を決めようとしても、アフリカ諸国など中国寄りの途上国メンバーが多数を占めているので、決して米国に有利になるとは限らない。場合によっては米国のWHO離脱も想定される。そうなると、WHOは大きなスポンサーを失うことになり、結果としては多くの貧しい途上国が衛生・保健の面で多大な損失を被ることになる。
WHOの歴史を少し振り返って見よう。筆者も取材経験があるが、第1に天然痘の撲滅があげられる。1970年頃、世界の天然痘患者の数は1,000~1,500万人に達していた。ところが、その後、南アジアと南米で相次いで撲滅宣言され、1977年にはアフリカのソマリアに天然痘を追い込んで撲滅が完了した。さらに、WHOはポリオ(急性灰白髄炎)撲滅をターゲットとし、88年に「世界ポリオ撲滅計画」を開始した。95年からはアフリカのオンコセルカ症(河川盲目症)撲滅も進められた。日本も政府開発援助(ODA)ベースの医学専門家派遣などで貢献している。そして、これからも現在進行中の持続可能な開発目標(SDGs)の目標3「すべての人に健康と福祉を」にとっても、WHOの役割は欠かせない。
貧しい人々の生存のためにもWHOを舞台に米中の大国が競い、WHOを政争の舞台にしないでほしい。今回の中国のようにWHOのパンデミック宣言のタイミングを操作するような政治工作があったとしたら、国際機関の中立性を守る上で大きな汚点を残すことになる。
世界ウイルス研究所の創設
とにかくアジア、ヨーロッパを含むユーラシア大陸を起源とする病原菌は、その歴史を見ても世界各地で猛威をふるい、アフリカ、太平洋諸島、南北両アメリカで抵抗力のない多くの先住民たちの人口を減少させた。例えば、コロンブスのアメリカ大陸発見以降、200年もたたないうちにアメリカ先住民の人口は95%も減少したと推定されている。1519年のコルテスによるアステカ帝国(メキシコ)征服、そして1531年のピサロによるインカ帝国の征服も、実は武力と言うよりヨーロッパ人の持ち込んだユーラシア大陸育ちの病原菌(ウイルス)で自滅したと伝えられている。
新型コロナウイルスは、今後も一層強靭化して人類に襲いかかってくるだろう。私たち人類は再度、襲い来るウイルスに対処するために、人類一丸となって、ウイルス研究を強力に持続すべく、世界の英知を集めた画期的なウイルス研究所を創設することが急がれる。
世界(人類)が得体のしれないウイルスで大混乱に陥り、多くの生命と財産が奪われることを考えると、国益なるものを超越した地球規模でのウイルス研究所の創設を構想すべきであろう。世界の大国では武漢ウイルス研究所のように各々ウイルス研究所を設けて、密かに戦略的にウイルス研究を行っているようだが、もし、ウイルス研究を原爆のように戦略的発想で研究しているとすれば、人類の終末を予言するような恐怖を感じてならない。人類はもっと英明にならなければならない。そうでないとウイルスには勝てない。
※国際開発ジャーナル2020年6月号掲載
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