短期決戦型の援助
矢はアフリカに放たれた。決して軽くない矢である。
去る8月29日、ケニアの首都ナイロビで開催された第6回アフリカ開発会議(TICAD Ⅵ)での安倍晋三首相の演説は圧巻であった。それは、まさに数字の威力である。別の見方では、数字の魔力でもあった。アフリカ大陸の各国首脳たちは経済発展に飢えている。同じアジアでも、アフリカへの中国の援助と日本の援助はどう違うのか、彼らはその違いにも興味を抱いていたに違いない。
そこで安倍首相演説の“数字の威力”を次に挙げてみた。
(1)70社にも上る日本企業の経営幹部が参加したこと、(2)インフラ整備へ3年間で約100億ドルを投入すること、(3)日本の技術による地熱発電を2022年までに300万世帯へ配電すること、(4)ABEイニシアティブでアフリカ人の留学生経営幹部1,000人を日本へ招へいすること、さらに、(5)ABEイニシアティブでは3年間に工場長クラスの現場指導者を1,500人育成すること、(6)産業の基礎を支える人材は2018年までに3万人になること、(7)感染症の専門家と政策人材を3年間で2万人育てること、(8)基礎的保健サービスの恩恵を受けられる人口を3年間で200万人にすること(いわゆるユニバーサル・ヘルス・カバレッジ=UHC)、(9)3年間で5万人に職業訓練を実施すること、(10)3年間で1,000万人の人づくりを実施すること、(11)民間投資を入れて総額300億ドルの投資を実現(政府100億ドル、民間200億ドル)すること、(12)日本がTICADを始めて23年間を経たが、そのODA総額は470億ドルに達すること―など。
アフリカの首脳たちは、こうした数字の威力に陶酔したことであろう。
ただ、以上のような膨大なコミットメントを、日本はどこまで実現できるのか懸念される。日本は中国のインフラ重視型援助との差別化を図る上でも、自らのコミットを実現しないと、アフリカでの信用は大いに損なわれる。
アフリカの不安材料
私たちはアフリカ大陸における日本と中国の援助の役割を分別して、アフリカでの非白人としての歴史的役割を果たすべきだと言いたい。中国のインフラ重視の考え方は、インフラ不足に直面しているアフリカ諸国の国家的ニーズに合致するものである。中国援助がたとえ政治的動機からであっても、アフリカ諸国は現実の矛盾を解決できるならば、好むと好まざるにかかわらず、中国のインフラ援助を歓迎するだろう。
日本は、かつての東南アジアでは技術力とともに資金力も十分だったので、ODAで、その前は戦後賠償援助から、まず港湾、空港、道路、橋梁といった経済基礎インフラ整備に協力し、そこに工業団地も用意され、日本企業の進出条件を整えた。
今、日本はアフリカ援助で厖大なインフラ建設協力において力不足に陥っているものの、企業力の方はいまだ健在である。企業力とは、現地適応の経営力であり、それは東南アジアでの投資経験で十分蓄えられている。
次に、アフリカ開発協力にとって幾つかの不安材料を挙げてみた。
(1)企業進出時の現地パートナーの問題。合弁方式を採用すると、頼りになるパートナーが必要になる。日本企業が東南アジアに進出した初期の段階では、昔から現地に根を張っている華僑グループが良きパートナーで、彼らは現地での商業ネットワークと共に資金力でも実力者であった。
その一方で、ケニアなどアフリカ東海岸には、英国植民地時代から鉄道建設などに働いたインド人たちの末裔が、各地に商人として根を張り、いわゆる“印僑”(華僑との比較)として大きな経済力を蓄えている。
これら印僑を、日本企業がかつての東南アジアでの華僑のように良きパートナー(合弁相手)として、どこまで取り込むことができるかである。筆者はシンガポールに行くたびに、日本のビジネスはなぜシンガポールのインド系ビジネスと組んでインドに進出し、さらにインド企業と組んでアフリカの東海岸に進出しないのか、と言われてきた。
ラスト・フロンティアとは
(2)アフリカ大陸の不安材料。その一つは、経済成長の配分をめぐる部族間紛争である。成長なき時代でも、土地をめぐる部族間紛争は絶えず続いた。大きな部族が土地配分を有利に進めた。ケニアでも中央州の有力な穀倉地帯を、今も政権を握るキクユ族が独占している。ただ、土地配分は、農地を中心に選定されてきた。
ところが、工業化を促進する企業進出は、良き土地を得ることを条件にしていない。貿易港に近い地域、原料生産地に隣接している地域、工業用水、電気、道路などインフラ整備の行き届いている地域などであれば、進出条件は十分である。
進出地域では雇用も進み、所得の高い人たちが住むようになる。当然ながら、企業の利益配分にもありつける。そうなると、これまでの土地中心的な権力構造は瓦解するかもしれない。次は工業化による利益配分をめぐって、部族間の紛争が始まるのか、それとも逆に部族のインセンティブが消えて、一つの国家としての国民国家へと前進するのか、アフリカ社会への工業化のインパクトは測り知れない。こうして、ネーション・ステート(国民国家)への道が深まるかもしれない。
(3)周知のように、報道ではアフリカのことを“ラスト・フロンティア”と書いていた。しかし、それはアフリカの歴史的な不幸を解消するためのラスト・フロンティアなのか、それとも資本主義的な視点からのラスト・フロンティアなのか、そのコンセプトは漠然としている。
世界中の過剰なほどの資本は行き場を失っていると言う。その意味で、資本的には手つかずのアフリカは、まさにラスト・フロンティアである。
筆者は何百年もの間、ヨーロッパの植民地として多くの富を収奪されたアフリカ復活、再生のため、アフリカ人のためのアフリカの国づくりという意味でのラスト・フロンティアであることを願っている。
※国際開発ジャーナル2016年11月号掲載
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